デニム中毒者のたわごと

『文藝月光』&poetry

笑顔で死ぬということ 4

 

そんな風にして「笑顔で亡くなっている話」をたくさん集め、読み込み、体感しました。

日本や世界の民話や故事の中にもあれこれあるんですよね。たとえば『かじかびょうぶ』や、中国の『絶纓(ぜつえい)の会』とか。

『かじかびょうぶ』
   ↓
http://aureaovis.com/story1106.htm

『絶纓の会』
   ↓
http://www2.officeokimoto.com/easy/zetuei.htm

新聞の投稿欄や数々のブログの中でも、いくつもの心が震える「笑顔の死」に出逢いました。

そうしているうちに、それらの全てがボクには「覚悟の死」に思えてきたんです。たとえ不慮の突然死であったとしても、です。

(何といっても、「今まで生きてきた過程=延長としての死」ですから)

そして思うのです。死の直前に迎えるのは「ある種の安息」=「静謐」なのじゃないか……と。

「死の危機に際して、自分の一生が走馬灯のように浮かんでくる」

なんて話は良く耳にします。誰もが聴いたことがあるのではないでしょうか。

ボク自身にそういう体験はないんですが、随分昔に事故を起こしたとき、通常とは違う時間の感覚を味わったことならあります。

そこそこの速度で走っていた車が突然コントロール不能になり、自動車道から逸れて側面に突っ込み、ひ弱な苗木をなぎ倒しながら斜面を駆け上っていきます。

(植え込みがある土の斜面だから助かったのだと思います。少し先は崖になっていて、そこから落ちたらどうなっていたかは自明でしたね)

やがてそれ以上は上れなくなったところで、今度は重力が襲い掛かってきます。あとは反転して車は転がり落ちるだけです。

そんな僅かな時間に、完璧なスローモーションで全ての光景がクリアに見えたんです。自分の眼で見ているはずなのに、やけに客観的な視点(若干、俯瞰気味)で自分の姿まで分かるんですよね。

ですから、「死の瞬間に一生が見える」なんてこともあり得るんだろうな、ってことも思うわけです。いや、充分に信じられる話なんです。

(たぶん脳科学方面の言葉でも語れる現象なんじゃないかな)

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仮に走馬灯状態で一生がフラッシュバックしてきたとしたら……

やはり笑顔になるんじゃないでしょうか。誰人の記憶の中にも、輝く思い出があるはずですから(と信じたいですね)。

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以前、とある女性刑務所に収監されている女性のインタビュー記事を読んだことがあります。

その女性は、育児ノイローゼから幼い娘に虐待を繰り返し、やがて自ら娘の首に手をかけて殺害した罪を負っていました。

悔いても悔いても、もはやどうにもなりません。罪を償う「法」はあっても、実際に殺害したという「罪」が消えることなど決してないのですから。

その彼女が、不思議そうに語ったことがいつまでも記憶に残っているんです。

彼女の幼い娘さん、首を絞められて苦しそうな顔を一瞬浮かべたあと、「クスッ」と楽しそうに微笑んだらしいんです。それに気付いて慌てて手を放したときには既に遅かったんですけどね。

あの「クスッ」・・・って、いったい何だったんでしょうね?

と、収監されている女性はインタビュアーに訊きました。当然、簡単に答えられるものじゃありません。女性も答えを期待していたわけじゃなく、日々自らに繰り返し問い質している言葉が、たまたま出てきた感じでしたね。

彼女に課されたことは、「娘さんの最期の笑顔」にきちんと向き合い、その真実を探ることだと思います(自らの生涯を掛けてね)。おそらく彼女の胸の中には、いろんな想いが渦巻いているんじゃないかな。

ボクだって、娘さんの心理をあれこれ想像できますからね。笑顔の理由も。

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更に続きます。





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