デニム中毒者のたわごと

『文藝月光』&poetry

弁当の秘密

 
以前、田村隆一さんについて語ったことがありました。
     ↓
http://tsfc501.blog66.fc2.com/blog-entry-571.html

この記事で書いたようなことを、最近もボクは口にしていますね(笑)

もっとも、それは今に始まったことでなく、やはり長いこと考え続けてきたことなんです。ボクに関係する、他の多くの「ものごと」と同様に、です。

今回は、田村隆一さんの、貴重な動画をごらんいただくところから始めましょう。



いきなり若い顔の大江健三郎さんが現れたから、驚かれたことと思います(笑)このソースは1980年ですから、大江さんが45歳のときですね。

田村さんは4分を過ぎたあたりからの登場になります。こちらは1995年、田村さんの晩年にあたります(亡くなられたのは1998年でした)。

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晩年の田村さんにまつわるエピソードで好きなのは、朝食が必ず弁当だという話です。いえいえ、仕出しとかコンビニとかの類ではなく、奥様手製の弁当です。

どうしてだか分かりますか? 弁当マニアってことじゃありませんよ^^

ちょいと考えていただきましょうか(笑・・・いぢわる?)

正解はワンクッション置いて語ることにします^^

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現代詩にあんまり興味のない方でも(たぶん、多くの方たちがそうだろうと想像しております^^)、たとえば小説を読むのが好きな人でしたら、おそらく田村隆一さんの文章には触れたことがあると思います。

田村さんは翻訳もされていて、とりわけ有名なのはアガサ・クリスティやエラリー・クイーン、ロアルド・ダールの一連の作品でしょう。

アガサ・クリスティだと『アクロイド殺し』、

エラリー・クイーンだと『Xの悲劇』や『Yの悲劇』、

ロアルド・ダールだとやはり、ジョニー・デップ主演の映画も話題になったことだし、『チョコレート工場の秘密』ですかね。

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さて、お待たせしました^^

何故、田村隆一さんの朝食が弁当だったかというと、奥さまが病弱だったからです。

幼い頃から病弱だった上、心臓の手術までされた奥さまは、朝が極端に苦手だったそうなんですよね。

だから、いくらか体調も優れる前夜に、心を込めて弁当を作るんです。

その弁当を、目覚めた田村さんは二階に持っていって、窓外の景色を眺めながら食べるのが日課になりました。その時間は田村さんにとって至福の時間だったとのことです。

実際に奥様の味付けは、完璧に田村さんの好みでして、事ある度に知人・友人に語っていたそうです。

家内の味つけは、今風の料理屋より数段上です。

ってね。

とても素敵な話だと思いませんか?

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田村隆一さんは1998年8月、その病弱な奥さまと、娘さんに看取られて亡くなられます。

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たぶん、ここまでのエピソードだけだと、ひたすら誠実に奥さま一筋で、とんでもなくカッコ良くて、素敵なイメージだと思います。

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ちょいと、その印象を崩してしまうかもしれない話で、今回は締めさせていただきます。

文藝春秋2008年2月特別号に載っていた記事から抜粋します。
田村さんの晩年、15年を共に過ごされた奥さま(そう、弁当のひと、です)が語られたことです。

《破天荒な酔いどれ詩人》といわれる田村ですが、生き方は清潔品位がありました。五回結婚して「後妻ならぬ五妻だな。七妻まで頑張るぞ」と冗談をいってたけれど本当は女性に真面目でお行儀がいいの。三番目の奥さん、岸田衿子さんとも意見の一致するところでした。田村にあるのは「いい詩を書きたい」という気持ちだけ。お酒以外はなんにも執着しませんでした。

四十代で離婚した私が鎌倉ではじめた小料理屋に、田村が来たときは、詩人とは知りませんでした。しばらくして「自宅では仕事ができないから」と、うちの二階を仕事場に借りたいというんです。四番目の奥さんが、「荒地」の仲間の北村太郎と恋愛事件を起こしたためでした。このころの田村は心臓のあたりを親指で押さえるのが癖で、シャツもセーターもみんな胸に穴が開いていました。

つねに深いかなしみが胸の底にあるのに、カラッと明るい生活態度で、大好きだったイギリスの流儀なのか深刻ぶらない。私は愛情よりも先に、尊敬を抱いたように思います。三年が過ぎ、田村は還暦祝いのパーティのあと、うちに来て「俺はもう帰らない。今後、すべての責任から自由になる」と宣言しました。

当時のことを書いたモデル小説が最近出たけれど、事実と違うところも多いらしいし、田村が気の毒で読めないの。彼は「荒地」の仲間を大切にしていて、ゴシップにも誹謗中傷にも、「俺の詩を読めばどんな人間か、わかる奴にはわかるんだ」と沈黙を守ったから。

「北村も、鮎川も、俺に甘えすぎたよ」とポツリと呟いたことがあります。田村の最初の結婚は、やはり「荒地」の仲間だった鮎川信夫さんの妹で、彼らの複雑怪奇な関係は私の理解をこえていました。なにしろ田村は死の床で「俺の血を採れ」といい、遺産トラブルがおきたらDNA鑑定をしろというんです。

実生活ではとにかく不器用な人で、ファックスは送れないし、ビールの缶を開ければ泡だらけ。私を「お母さん」を呼んでなんでも頼みました。「おーいお母さん、お酒くれ」と呼ばれると、ミニボトルにウイスキーをつめておいて、「はい」と二本だけわたすの。「空いたミニボトルをずらりと並べて「お地蔵さんだな」と笑っていました。

大腿骨骨折のあと、九七年末に食道ガンが見つかると、手術はいやだといって放射線治療を選びました。入院しても、タバコと、人を笑わせるようなことをいうのはやめません。看護婦さんに大人気で、意識を失うとナースステーションの全員が駆けつけて、お医者さんが「前代未聞だ」と驚くほど。各社の編集者がそろってお見舞いに来ると、「俺の葬式の相談をしてるんだろう」なんていうんです。

最期の日は、しきりに「眠りたい」というので、冷や酒を吸い飲みに入れてあげると、一合すうっと呑んで「うまい」と喜び、眠るように亡くなりました。田村は「明日も生きよう」と思っていたでしょう。でも私は、もう田村が苦しまなくてすむと思いました。

遺言どおり鎌倉の妙本寺で葬儀をした時、お寺の庭師の方が遺影を見て「あっ、あの人だ」と驚くんです。ある時期、毎日のように真っ暗になるまで境内に佇んでいたと聞いて、私が知らないころの田村の孤独を感じました。

絶筆は便箋に一行、「死よ、おごる勿れ」。「今度の詩のタイトルだ」といって、英国のジョン・ダンの詩だと教えてくれました。死すらも自分の存在を消し去ることはできない、というその意味が、死後十年たった今、わかってきました。あの人、まだ生きているような気がするんです。


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ボクはこれを読んで、ますます田村隆一さんのことが好きになりました。

その田村さんの全集が今月発売で完結することになりました。なんと! 田村さん初の全集だということです。刊行元の河出書房新社に大拍手ですね。

ボク個人としても、まだまだこの巨人の爪先に辛うじて触れることができたばかりです。

これから時間をかけて、足跡を追いかけてみようと思っているところです。





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