デニム中毒者のたわごと

『文藝月光』&poetry

春になれば・・・

 
永瀬清子さんという詩人がいらっしゃいました。

明治39年(1906年)2月17日に誕生し、平成7年(1995年)の、やはり2月17日に亡くなられた詩人です。享年89でした。

詩人の谷川俊太郎さんが、

《男の物書きは書斎を持ちたがるが、永瀬さんはいつでも、 ちゃぶ台とかその辺で詩を書いていた》

と語った詩人です。

日中は畑を耕し、必死で農作業をする「働く詩人」でした。

谷川俊太郎さんは、ご自身が影響を受けた詩人のリストに、永瀬さんの名前を挙げられています。

+++++

作品を紹介しましょう。


あけがたにくる人よ   


あけがたにくる人よ
ててっぽっぽうの声のする方から
私の所へしずかにしずかにくる人よ
一生の山坂は蒼くたとえようもなくきびしく
私はいま老いてしまって
ほかの年よりと同じに
若かった日のことを千万遍恋うている

その時私は家出しようとして
小さなバスケット一つをさげて
足は宙にふるえていた
どこへいくとも自分でわからず
恋している自分の心だけがたよりで
若さ、それは苦しさだった

その時あなたが来てくれればよかったのに
その時あなたは来てくれなかった
どんなに待っているか
道べりの柳の木に云えばよかったのか
吹く風の小さな渦に頼めばよかったのか
あなたの耳はあまりに遠く
茜色の向うで汽車が汽笛をあげるように
通りすぎていってしまった

もう過ぎてしまった
いま来てもつぐなえぬ
一生は過ぎてしまったのに
あけがたにくる人よ
ててっぽっぽうの声のする方から
私の方へしずかにしずかにくる人よ
足音もなくて何しにくる人よ
涙流させにだけくる人よ



この詩を作られたのは80歳を過ぎた頃です。胸に迫ってくるものがありますよね。

「ててっぽっぽう」とは山鳩らしいです(あの独特の泣き声のオノマトペなのでしょう)。

+++++

彼女は2歳のときから16歳まで、当地金沢で暮らしていました。
彼女よりひとつ年少の中原中也さんが金沢で過ごした2年の間に、あるいはどこかですれ違っていたかもしれませんね。

その可能性は、1912年~1914年にかけての頃に生じます。

朝日新聞で夏目漱石さんの『彼岸過迄』、続いて『行人』が連載され、タイタニック号が沈没し、夕張炭鉱で死者276名を出した爆発事故が起こり、大阪では「通天閣」が完成し、明治天皇が崩御された年が1912年。

第一次世界大戦が勃発し、パナマ運河が開通し、日本で初めてエスカレーターが設置されたのが1914年のことです。

元号が「明治」から「大正」に変わる境目の時期でもありました。

(追記:すれ違ったどころか、まったく同じ幼稚園に通っていたそうです!)

+++++

もうひとつ、素敵な詩を紹介しましょう。


だましてください言葉やさしく


だましてください言葉やさしく
よろこばせて下さいあたたかい声で。
世慣れぬわたしの心いれをも
受けて下さい、ほめて下さい。
あああなたには誰よりも私が要ると
感謝のほほえみでだましてください。

その時わたしは
思いあがって傲慢になるでしょうか
いえいえわたしは
やわらかい蔓草のようにそれを捕えて
それを力に立ち上りましょう。
もっともっとやさしくなりましょう。
もっともっと美しく
心ききたる女子になりましよう。

ああわたしはあまりにも荒地にそだちました。
飢えた心にせめて一つほしいものは
私があなたによろこばれると
そう考えるよろこびです。
あけがたの露やそよかぜほどにも
あなたにそれが判って下されば
わたしの瞳はいきいきと若くなりましよう。
うれしさに涙をいっぱいためながら
だまされだまされてゆたかになりましよう。
目かくしの鬼を導くように
ああわたしをやさしい拍手で導いてください



永瀬さんは家を守るため、21歳のときに結婚されました。詩作に勤しみたい彼女にとって、本当は望んでいない結婚だったようです。そういう気持ちが、この詩にも表れています。

とはいえ、きちんと妻としても母親としても責任を果たし、2男2女を育て上げられました。

+++++

永瀬清子さんって、宮澤賢治さんの「雨ニモマケズ」を発見されたひとりでもあったんですよね。

毎日新聞に寄稿された文章をまとめられた著作(自伝的エッセイです)『すぎ去ればすべてなつかしい日々』に記述があります。

賢治さんが亡くなって5ヵ月ほど経った頃、弟の宮澤清六さんが革のトランクを抱えて上京してきます。賢治さんの追悼会を友人たちが開催するので招待されたんです。

集まったメンバーは、高村光太郎さん、草野心平さん、新美南吉さんたちで、その中に永瀬さんもいらっしゃったんですね。

清六さんが持参した革のトランクの中には、賢治さんが遺された原稿もたくさん入っていました。

そうして原稿を広げているうちに、トランクのポケットから黒くて小さい手帳を発見するのです。

そこに書かれていたのが「雨ニモマケズ」だったのですが、そもそも発表することを目的に清書されたものでなく、まさに自分自身に向けて書かれた鉛筆書きの文章だったんです。

高村光太郎さんは「ホホウ・・・」と驚き、

永瀬清子さんは、初読の衝撃を、《地上に露呈した鉱脈》 と文章に残しています。

+++++

永瀬さんの自筆原稿が遺されていましたので紹介します。

永瀬清子自筆

+++++

春を近く感じるような陽射しです。夜明けも早くなりましたね。

今回は永瀬さんの、この詩でおしまいにしましょう。


春になればうぐいすと同じに


春になれば従兄が来た。
うぐいすが来るのと同じに―。
伯父の勤務先は遠い台湾だったから
短い春休みには彼は自家へではなく私の家へいつも来たのだ。

彼は私を「お嬢さん」とふざけて云い
何かとからかったり ひやかしたりした。
私もそれにさからい負けなかった。
ある年、待望の京大の帽子で来たので
「あら、おめでとう!」と私が云うと
かれはいつになく一足近づきまじめな小声で「僕、トップで入ったんだよ」と云う。
「えっ、ほんと!」と私は云って すぐ走って父母に報せに行った。

父は喜んでお祝いに彼と私ら姉妹をつれて夕方
カフェ・ライオンの定食をおごってくれた。
もう夜も暖かくなっていて、あとで栄町の夜店をひやかし
おしまいに植木屋でヒヤシンスの幾株か買った。
帰ると月あかりで庭に仮植し
するとそこらはいい匂いで一杯になったのだ。
東の空にはもっとよく光る星があり
乙女座のスピカなんだと彼が教えてくれた。「私は詩を書く人になりたいの
ほかには何もなりたくないわ」と私はその時云った。
「詩を書くのならうんと勉強しなくちゃ
感性だけに頼っていては駄目なんだ」と彼は云い
そして私のために勉強のリストを作ってくれた。
そして「世界地図も忘れるな」と彼は云った。

あの春からずっと続いている私のいのち。
けれど父も母も今は亡く、又大学を出てインターンになったばかりで彼も逝ってしまったのだ。

思いかえすある夕べ、三人いる時、母がしんみり云った。
「清は美しくはないし 女らしい才能もないけど
物を深く考えようとする所だけがとりえなの」
私は古風と思っていた母の理解に驚いた。
そして鶴が思わず羽ばたいたように嬉しかった。
またいつもきっとからかう彼が思いがけず
「僕もやっぱりそう思うのです」とやさしく云ってくれた。
おお、私はその鶴が声をかぎりに鳴いたようにも うれしくうれしく思えたのだ。

やさしい理解者いずれも今はなく
彼の最期を看取りに母が京都へ急行したことまでで思い出はとぎれた。
うぐいすはもうそれきり鳴くことはなかったのだ。


+++++

しばし、永瀬さんの追っかけになろうと思っちょります^^






*Edit ▽TB[0]▽CO[9]
Tag List  [ +++++ ] 
   

~ Comment ~

No title 

こんにちは~

永瀬清子さん、、最近どこかで名前を拝見
しましたが(忘れた、、新聞かな?)
いい詩ですね!
金沢に住んでいらしたのですね~
中原中也も??
知りませんでした。。
今週はいいお天気のようですね!
やっぱり青空がいいわあ(笑)

こんばんは^^ 

sakanaさん、こんばんは^^

>永瀬清子さん、、最近どこかで名前を拝見 しましたが(忘れた、、新聞かな?)

あ、そうですか!

>いい詩ですね!

いい感じですよね^^

>金沢に住んでいらしたのですね~

ええ、今の金大付属の前身にあたる「石川県女子師範学校附属小学校」に通ったそうですね。現在の21世紀美術館の場所にあったみたいです。

その後「県立第二高等女学校」で学び、泉鏡花を読みふけったとのことです。

まだまだ女性差別の激しい時代でしたから、女子がまともに教育を受ける場も限られていた中で、彼女はミッション系の私立女学校の補習科に進むのですが、そこで父親の仕事の都合で名古屋に移り、そちらの学校で上田敏さんの詩と出会い、詩の道を志すことになります。

>中原中也も??
知りませんでした。。

彼の記念碑も残されていますね。一応過去ログにも書きましたので、よかったらどうぞ。
     ↓
http://tsfc501.blog66.fc2.com/blog-entry-422.html

>今週はいいお天気のようですね!
やっぱり青空がいいわあ(笑)

そうですね^^「sakanaさんブルー」の写真を楽しみにしています。




No title 

おはようございます。(〃⌒ー⌒〃)ゞ

何だか上手く言えないけど、心に響いてくるような哀愁漂う詩だなぁ。いろいろと苦労されてきたのですね。
自分をだましだまし、それでもそんな状況も喜びに変える力も持っているような・・・強い人?
永瀬さん。いいですね。。。

さてと、仕事に行ってきます。ちょっとハード。肩凝り、腰痛から未だ開放されてないので
ここのとこ、仕事がしんどいけど行ってきます。。。(;´▽`A``

永瀬さん、いいでしょ 

ヒロさん、こんにちは^^

>何だか上手く言えないけど、心に響いてくるような哀愁漂う詩だなぁ。

上手く言う必要はないです。ヒロさんが感じたままが正しいんですから^^

>いろいろと苦労されてきたのですね。
自分をだましだまし、それでもそんな状況も喜びに変える力も持っているような・・・強い人?

強い人だと思います。でも、とても繊細な方でもあったんですよね。それはヒロさんを始めとする皆さんにも言えることですけどね。

>永瀬さん。いいですね。。。

それはよかった。
興味を持たれたのなら、図書館へGo! ですね。

>さてと、仕事に行ってきます。

はい。行ってらっしゃい。

>ちょっとハード。肩凝り、腰痛から未だ開放されてないので、ここのとこ、仕事がしんどいけど行ってきます。。。(;´▽`A``

そんなこと言ってましたよね。しんどいときは休養を充分にとることも大切なので、身体と相談しながら様子を見てください。無理だけは禁物ですよ。お大事にね。

No title 

おおっ!
昨日、たまたま『詩人の愛』正津勉・著(河出書房新社)で、久しぶりに『だましてください言葉やさしく』を読んだところでした。
「地上に住まなければならなくなった天女の肉体を思はせる」(高村光太郎)という言葉に、ぐっと来たのです。



No title 

あ、ちなみに、正津勉氏の著作は、詩人の愛を切り口とした、詩人たちのスケッチ集です。通勤時間には読みやすいなと。

またまた、シンクロニシティですね。 

ワタナベさん、こんばんは^^

>おおっ!
昨日、たまたま『詩人の愛』正津勉・著(河出書房新社)で、久しぶりに『だましてください言葉やさしく』を読んだところでした。

そうですか!
もっとも、完璧にワタナベさんのフィールドですから、こういうことは多いと思います^^

>「地上に住まなければならなくなった天女の肉体を思はせる」(高村光太郎)という言葉に、ぐっと来たのです。

まさしく!

>あ、ちなみに、正津勉氏の著作は、詩人の愛を切り口とした、詩人たちのスケッチ集です。通勤時間には読みやすいなと。

通勤時に読書する習慣をすっかり忘れていました。そうなんですよね。往復の通学&通勤は、そちらにいたときの絶好の読書タイムでした。今度、正津勉さんの『詩人の愛』を探して読んでみます。ご紹介ありがとうございました。

No title 

 あ、ご多忙の折、何度もすみません。
 正津氏は、詩は読んだことがあるのですが、確か、『脱力の人』(?)というエッセー集で出合った感じを持てました。
 気になる淵上毛銭さん等に触れられていたからですね。今どき、毛銭さんの詩歌に興味を持つ方は少ないですし。
『詩人の愛』に関しては、著者には大変失礼ですが、図書館でパラパラするのがいいかなと。
 ただ、まあ、「さすがに詩歌を読んでいるなあ」とは思いました。
 敬愛する天野忠さん等にも触れられており、うれしくなりました。もちろん、中也も登場しています。

天野忠さん 

ワタナベさん、こんにちは^^

>あ、ご多忙の折、何度もすみません。

それはこちらのセリフです(笑)ありがとうございます。

>正津氏は、詩は読んだことがあるのですが、確か、『脱力の人』(?)というエッセー集で出合った感じを持てました。
 気になる淵上毛銭さん等に触れられていたからですね。今どき、毛銭さんの詩歌に興味を持つ方は少ないですし。
『詩人の愛』に関しては、著者には大変失礼ですが、図書館でパラパラするのがいいかなと。

了解いたしました。とにかく実物に触れてみます^^

>ただ、まあ、「さすがに詩歌を読んでいるなあ」とは思いました。
 敬愛する天野忠さん等にも触れられており、うれしくなりました。もちろん、中也も登場しています。

天野忠さんは、ボクも大好きです。『私有地』と『木漏れ日拾い』他、数冊所有しているはずです。

で、過去ログに書いてたと思って検索したんですけど、書いていませんでしたね(笑)たぶん別の場所に書いたのを勘違いしたのだと思います。いずれ記事にしましょう。

中原中也さんは、次回にUPする予定です(少しですけど)。
管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)