デニム中毒者のたわごと

『文藝月光』&poetry

キトキトの帰途

 
「キトキト」という言葉は、皆さんもたぶん一度くらいは聴いたことがあると思います。
富山弁で「新鮮」とか「生きのいい」とかの意味を持っている言葉です。

で、とーとつに「帰途」という詩を紹介します。

現代詩の巨人、田村隆一さんの有名な詩です。


     帰途   

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか

あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ

あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう

あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるのか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか

言葉なんか覚えるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる


+++++

以前ボクは「言葉」というものが「不完全で不自由で、とても厄介な道具」だと語ったことがありました。
     ↓
http://tsfc501.blog66.fc2.com/blog-entry-455.html

記事にも書いたように、言葉は不完全であるからこそ、様々な意味を付加することが可能だし、使い手次第では極めて自由な「もの」になるんです(当然、その逆の不自由も生じますけどね)。

口にした同じ言葉が、発する人物(や、受け取る人物)によって全然違う意味に変化してしまうのも、不便な道具たる所以です。

現在の日本で、たとえば「管直人」や「鳩山由紀夫」という人物の言葉を、いったいどれだけの人が真に受けるでしょうか? 

既に彼らの言葉は字義どおりの意味を持ち得なくなっているんです。誰もが自分流に翻訳して(あるいはメディアの発言をそのまま受け入れて)耳に入れるのではないでしょうか?

+++++

そういうことが言葉の本質(=「ちゃらんぽらん」)だとボクは思っています。

つまり、デジタル的に予めプログラムされたものでなく、常に変化する主体(=有機体)であるということですね。

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ちょいと脱線しますけど、現代工学でロボットの研究をしている方たちは、そのあたりのことを考慮して、根本的思考を変えた方がいいと思いますね。

どれだけ細かくプログラムしたとしても、絶対に生命体を産み出すことは彼らには不可能ですから。

実際に現代科学の先端では、そういうアナログ的思考にシフトチェンジしてきています(量子コンピューターなんて典型ですよね)。

そもそも「生命」というもの自体が、科学的なロジックとは相容れないところが大ですからね(だって「ちゃらんぽらん」だもの・・・笑)

ですから無から「機械」を作れても、「生命」を同様にすることは不可能なんです(根本的ロジックが違いますから)。

やはり、「生」あるもの=「有機体」は、そもそも「数値化」できるものなんかじゃないんです。

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言葉も同じです。記号論だけで捉えることのできない奥行きと、飛躍と、論理的でない結びつきをします(=いい加減=ちゃらんぽらん)。

そういうところが有機体に似ているんです(だって言葉を使う存在と不可分ですからね)。だから「生命を持っている」とも言えるわけです。

+++++

冒頭の田村隆一さんの詩は、初読の頃のとても若いボクに、いろんなことを考えさせてくれました。

当時のボクは斜に構えて生きていましたので、あんまし他人の言葉に対して素直に耳を傾けることはありませんでした。

その代わりとして、とにかくたくさんの詩を読んでいました。文章の長い小説の類は少々タルかったし、村上春樹さん以前の日本文学は、若いボクのココロにそれほど響いてくるものがありませんでしたから。

だから当時は詩とコミックと、音楽やファッション、その他の雑誌をもっぱら読んでいましたね。とりわけ詩の言葉は、ささくれだった気持ちに染入ってきてくれました。

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で、現在、田村隆一さんの詩は、当時とは違う感慨をもたらしてくれます。

「なぁーんだ、これって肯定の詩だったんだ!」という当たり前の発見がありました。

+++++

若い頃のボクはどうやら誤読していたようです。
でも、それが「まんま」当時のボクを表しているようにも思います。

根拠のない自信と、それゆえの弱きココロと、僅かばかりの自尊心と、桁違いに大きなコンプレックスと……

そんなもの一切合財を抱えて、自らの小さい殻を引きずりながら生きていたことを思い出します。

あれはあれで、必要な時期だったんだな、とも思います。

+++++

なんてことを考えるのも、ちょいとここのところ疲れ気味(&風邪引きくん)だからかもしれません。おそらくそうでしょう。そうすることにします(笑)

とにかく、どうせなら、キトキトの言葉を使いたいモンデス山脈、と思います。

+++++

きちんと相手に届かない限り、言葉は「言葉であること」を放棄します。

そして哀しいことに、我々を取り巻く世界は、次第にそんな風に窮屈になってきているようにボクには思えます。

確かに「言葉らしきもの」は巷に溢れています。しかも過剰なくらいに。

けれどそれらは「慇懃無礼なビジネストーク」だったり、マニュアル化された「記号に過ぎない(=感情のない)声」だったりします。

おまけにそれらは一方通行的に発せられるのみです。

そして、それらの「言葉らしきもの」の受け手(=キャッチャー)の数が絶望的に不足しているように思えるんですよね。

そこにはキャッチボールが成立する余地すらありません。だって、そういうオプションはマニュアル化されていませんから。

誰もが自分のことを饒舌に語りますが、他者の声に誠実に耳を傾ける人は稀です。

そういう極めてアンバランスな状況の中を、ボクらは生きています。

+++++

ホールデン・コールフィールドくん、きみがいた頃から半世紀以上経っても、
このクソッタレな世界は強固なまでに、そういうシステムを維持し続けているよ。

おそらく、そういう棘が、本然的に人間の根っ子に刺さっているんだろね。

でも、きみが言ってたように、そんな世界は「インチキ」だから、何とかして抗って今までボクもやってきたんだよね。

そう、できるだけいいキャッチャーになろうと思ってさ。

でも、最近疲れていることも確かなんだよ。無力感すら覚えることもある。



               まいったね。


そうそう、ヴォネガットおじさんなんて「坑道のカナリア」になろうとしていたんだぜ、笑っちゃうよね。どうやったら人間が鳥になれるっていうんだい?

あ、でも、すっかりおっさんになっちまったボクは、今では手に負えないトリアタマとして生きているから、あながち無理ってわけでもなさそうだけどね。

そう、鳥になれるかもしれないってことさ。

だって、両肩から翼になりかけの骨が隆起しているように、近頃感じているんだよ。


+++++

このままだと、意味のない世界の中を、ボクらは漂うだけになってしまいそうです。

人々はますます分断され、孤立化を余儀なくされていきます(一方では、そういうことを自ら望んでいるように見える人たちも確実に増加しています)。

例えば、感情を表現する手段すら、ボクらは失いつつあるように思えるんです。人々からどんどん表情が奪われていきます。みんな魚のような表情になっていくんです。

+++++

やはり、本物の言葉の復権が求められますよね。
もちろん、きちんと届き、共有することができる「ちからのある言葉」がです。

そういうことにきちんとコミットしていきたいと、心から思います。

          
            頑張らなくっちゃね。


人が人として在るために、不可欠なのが「言葉」なのですから。

+++++

この国の折り返し点がどこにあったのかは定かではないですけど、それでもどうやらボクらは逆戻りしているようです。それが今までボクたちが歩いて来た道なのかどうかは分かりませんけどね。

でも、それでも帰途であることだけは確かでしょう。どこまで逆戻りしたらいいのかも定かでないけど、とにかく道を間違えた地点まで歩いていきましょうか。

そしたら、またいい考えが浮かんでくるんじゃないかな。まだまだこの国の人々のポテンシャルについては信用しているんですよ、ボクはね(楽観的過ぎますか?)。

でも、帰る場所があるならいいじゃないですか。誰かが待っていてくれるかもしれませんしね。

「帰途」・・・素敵な言葉だと思います。

最後に、こんな歌でもどうですか?
アンダーグラフの『また帰るから』です。




みんな、おうちに帰りましょ^^





ただいまー!









おかえりぃ♪




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~ Comment ~

No title 

 拝読、「確かに!」と痛感しました。
 余談ですが、ねじめ正一氏が書いた、北村太郎に関する書籍に、親友・田村隆一のことも触れられていましたね。例によって、タイトルその他を失念、すみません。

荒地 

ワタナベさん、こんばんは^^

>拝読、「確かに!」と痛感しました。

ありがとうございます!

>余談ですが、ねじめ正一氏が書いた、北村太郎に関する書籍に、親友・田村隆一のことも触れられていましたね。例によって、タイトルその他を失念、すみません。

あ、そうですか! 同級生でしたもんね、お二人は。だからきっと面白いエピソードもあるんだろうな、と思います。

ボクにとって北村太郎さんは翻訳者としての姿の方が馴染み深いですね。
「詩人」と言っても、日本という国の中では詩作一本で・・・というわけにもいかないでしょうから、必然的に翻訳される方たちも多いみたいですね。
田村隆一さんも同様でしたもの。

ただいまぁ 

コウさん、ただいまぁ

なあんて、ちょっと言ってみただけです☆

確かに「ただいま」「おかえり」って言う言葉のキャッチは、何だか暖かい気持ちになりますね。

コウさん、風邪気味ですか?
お大事にしてください…って言っているわたしもここ数日寝込んでいます(>_<)

落ち着いたら、こちらから連絡入れます。
声が出ないです(>_<)

おかえりぃ 

ユリさん、こんにちは^^

>コウさん、ただいまぁ
なあんて、ちょっと言ってみただけです☆

ユリさん、おかえりぃ
なあんて、ちょいと応えてみました(笑)

>確かに「ただいま」「おかえり」って言う言葉のキャッチは、何だか暖かい気持ちになりますね。

そうですよね^^
「行ってきます」「行ってらっしゃい」「いただきます」「ごちそうさま」「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「ありがとう」・・・etc
耳に心地よい挨拶っていっぱいありますよね。そういうのがフツーに交わせる地域って素敵だと思います。

>コウさん、風邪気味ですか?
お大事にしてください…って言っているわたしもここ数日寝込んでいます(>_<)

ありゃま! 大丈夫ですか?
お大事にしてください。

>落ち着いたら、こちらから連絡入れます。
声が出ないです(>_<)

飴ちゃんをあげましょう^^
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