デニム中毒者のたわごと

Literature

高橋源一郎さんのこと 2

 
それでも、源一郎さんが春樹さんについて語ったことがありました(もちろん、作品についてです)。
まず、それを紹介しましょう。

《詩人というのは言語を洗練していくのではなくて、その国の言語に何かを付け加える存在なんですね。だからその部分は、よく読んでみると変なんです。でもすごく印象に残る。それがというか、それも「翻訳」なんですね。

そういったもので詩というものがいわばレベルを上げていって、いまの現代詩に至るんです。

小説の方で言うと、村上春樹さんは日本語の中に英語を「入れた」わけです。
これはまねたとかそういうことではなくて、日本語を無理矢理方向転換させたというか、日本語の枠を広げたというか、ともかく日本語じゃないものを混入した。それは二葉亭四迷がやったこととも通じるんですが、言葉が要するに変なんです。

つまり、中にある物語とか、キャラクターがどうということじゃなくて、言葉が脱臼しているというか、日本語ではない違うものに遭遇しているという感じがするんですね》


そういえば源一郎さんも詩作(思索とも言う)からスタートされたんですよね。
これだけ重なってくると、どうもボクの好きな小説家に共通するキーワードのような気がしてきます。

で、こんなふうに続きます。

《僕は、小説を現代詩の延長線上に考えていました。読めて楽しいけれども、でも読んだ瞬間に、「この言葉はおかしい」、これは日本語ではない、という小説でなければだめだと思っていました。

だから、僕が『風の歌を聴け』を初めて読んだ時驚いたのは、方向は違うんだけれども、この人も同じことをやっているなと思ったからです。それが一ページ目でわかった。あれは日本文学じゃないんですね。形そのものが。それがやっぱり、僕には大きかった》


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実際に源一郎さんの初期三部作(ここでも出てきました^^)の共通項は、日本語の最先端である「現代詩」を、「いかに小説化するか」っていう試みだったからです。

何より、実質的なデビュー作の(そして、最もチャーミングな作品でもある)『さようなら、ギャングたち』は、吉本隆明さんただひとりを読者に想定した作品だったみたいですからね。

吉本隆明さん……

詩人にしてラディカルな思想家でもある、この人は、作家よしもとばななさんの父君でもあります。

ボクはあんまし馴染みがないので(吉本隆明さんは、ボクより少々上の世代のアイドルだったようです)語れることは多くないのですが、それでも宮沢賢治さんに関する著作からは得るものが多かったですね。

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ついでだから、その本も紹介しときましょう。

吉本隆明


続きます。







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