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デニム中毒者のたわごと

Literature

レアな村上春樹さん その206

 
「レーダーホーゼン」というのは、ドイツ人がよくはいている、上に吊り紐がついた半ズボンのことだ。「彼女」の母親は初めて一人で行くことになった海外旅行で、夫への「おみやげ」にこのズボンを頼まれた。ハンブルグの郊外にある専門店にまでそれを求めてわざわざ足を運ぶ。ところが、店の伝統的な方針で今ここに「存在しない」客には仕立てられないといわれ、身代わりとして夫と寸分たがわぬ体型の人物を探し出すはめになる。奇妙にも、瓜二つの疑似型夫の方に母親の心はいってしまい、「彼女」の両親の夫婦関係がズレを起こして離婚に至ってしまう、というこの小説は、いってみれば一種の〈とりかえばや物語〉的な求婚譚に仕立てられている。
身につけるはずの「レーダーホーゼン」とその身体との〈距離〉(寸法)にこだわらざるをえない結果、生身の父と母との間にはとんでもない〈距離〉が派生してしまった話だ。
巻尾『ハンティング・ナイフ』・の方も、ロング・ショットでもって〈距離〉をパラメーターとした風景が語られ始められる。

沖あいには、平らな浮き島のように大きなブイがふたつ、横に並んで浮かんでいた。波打ち際からブイまでがクロールで50ストローク、ブイカラプイまでが30ストロークあった。泳ぐのにはほど良い距離である。

この横に並んだ「ふたつ」の大きなブイは、この短編世界の構図をいみじくも象徴している。おおよそ村上春樹のテクストを覆っているものは、ふたつ=〔二〕のコードであり、双子、双数性、瓜二つ、1/2、そっくり、分身、ダブル、シンメトリー、ツイン、(対)セット、代行、代理……こうした二重性の原理に統辞された世界になっているといってよいだろう。
「車椅子の青年」とそっくりのその母親。青年は『ハンティング・ナイフ」を所望し、ひそかに隠し持つ。自殺のためでも、他人を殺す目的でもない.おそらくは、この「熊の皮」をもはがすことのできる精妙な「ナイフ」は、何か、密着したうとましい関係(=距離)を切り離してくれそうな欲望を満たすシンボルとして読むことは可能だろう。
この青年の「動かない脚を中心として作動している」血縁関係の中で機能する「システム」を生きなければならないジレンマ。しかも青年は元来そっくりな母親と完璧なまでに母子一体化してしまう(母親の顔面の1/2、つまり硬直し麻痺する顔の「左半分」に表れている)。


つづきます。


   

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