デニム中毒者のたわごと

Literature

レイモンド・カーヴァーに学ぶ  その79

 
村上春樹さんの解題の続きです。

『象』

“Elephant”「ニューヨーカー」一九八六年六月九日号。
これも相変わらずのカーヴァー節というところだが、ここには不思議な明るさと広がりがある。できの悪い家族、親戚から借金ばかり申し込まれて、断るに断れず四苦八苦する中年男の話で、筋立て自体はぜんぜん明るくないのだけれど、語り口のおかしさで笑いながら読んでしまう。
小説とは直接の関係はないけれど、八〇年代後半から始まったアメリカの長く暗い構造不況の波は、これまでアメリカ産業を下の方で黙って支えてきた労働者や農民といった層をいちばん激しく叩きのめした。産業構造そのものが大きな転換期にあったわけで、その大掛かりで熾烈な再編成作業から振るい落とされた人々の大半は、ごく普通のアメリカ的価値観をもつごく普通のアメリカ人労働者だった。彼らの多くは労働に誇りをもつことを親から教えられ、それを当然のこととして生きてきたわけだが、特別な専門知識をもたず、すぐ別の仕事に就くことができるような教育も受けておらず、もしレイオフされたら他に行き場所もない人々だった。彼らがそのような社会の揺れ動きの中で受けた傷は大きく、深刻なものだった。彼らは切り捨てられ、彼らのあげる声は多くの場合黙殺された。とくに彼とテスが暮らしていたワシントン州オリンピック半島の近辺では林業が圧倒的な不況に陥り、あるいは環境保全問題でうまくいかなくなり、町は失業者で溢れた。当地で紹介されたテスのお兄さんもそんな職を失った木こりのひとりで、自分がもう木こりではなくなってしまったことに強いショックを受けて、毎日何もせずにぶらぶらと暮らしていた。彼らは親の代からつづいた木こりの一家であり、木こり以外の生活など想像の枠外にあったのだ。
都会を離れてそのような場所で暮らし続けている作家として、自らワーキング・クラスの家庭に生まれ育った人間として、カーヴァーは彼らの生活や心持ちを描くことに大きな意味を見出していたし、それが作家としての精神のよりどころでもあった。自分が書かなければ、彼らの物語をいったい誰が書くのかという思いもあったはずだ。もっともカーヴァー自身は文学を志して、苦労を重ねながらも高等教育を受けてそのような階層から抜け出し、長い年月にわたってアメリカ各地の大学の創作科で教鞭をとることになった。だから彼をしてアメリカ・ワーキング・クラスの代弁者、スポークスマンと称するのはあまりにも一面的な評価に過ぎないわけだが、それでもやはり彼の骨の中にしみこんでいる基本的な視線、あるいはモラリティーは、まっとうな物言わぬ労働者のそれである。だからこそ彼には、それらの人々の感じる哀しみや苦しみや誇りというものが、生き生きと理解できたのだと思う。訳者がこの『象』という短篇小説の中でいちばん強く感じるのは、そのようなごまかしようのないまっとうな等身大の心持ちである。いささか荒っぽいところもあるが、この短篇集の中ではいちばん明るく、勢いのある話だと思う。


まったく同感です。個人的にはタイトルに関係する子供時代の父親とのエピソードにグッときましたね。

つづきます。



   

~ Comment ~

全集 

またもや、まおまおです、こんばんは。

触発されて最近全集を一巻目から読み始めました。いま、三冊目の『大聖堂』の中の短編をいつくか読んだところですっ。

後期の作品である『象』も読んでみました。
初期の頃とは違うんだ、と分かりました。(たぶん)
ワーキングクラスで生きる男性のお金にまつわる負のスパイラルのようなものが書かれてますけど、読んでいる途中何度も「もういいから自分のためだけに生きてください!」と忠告したくなるけれども、それを許さない妙な文章の心理的説得力がありました。
すごい……。

『象』にインスパイアされ 

まおまおさん、おはようございます^^

>またもや、まおまおです、こんばんは。

たいへん嬉しく思っております。

>触発されて最近全集を一巻目から読み始めました。いま、三冊目の『大聖堂』の中の短編をいつくか読んだところですっ。

お、それは素晴らしい! やっぱいいでしょ、カーヴァー。

>後期の作品である『象』も読んでみました。
初期の頃とは違うんだ、と分かりました。(たぶん)
ワーキングクラスで生きる男性のお金にまつわる負のスパイラルのようなものが書かれてますけど、読んでいる途中何度も「もういいから自分のためだけに生きてください!」と忠告したくなるけれども、それを許さない妙な文章の心理的説得力がありました。
すごい……。

はい。個人的に最もインスパイアされた作品なんです。
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