デニム中毒者のたわごと

Literature

レイモンド・カーヴァーに学ぶ  その76

 
村上春樹さんの解題の続きです。

『誰かは知らないが、このベッドで寝ていた人が』

“Whoever was using this bed”相変わらず奇妙な題である。本文に一ヵ所だけこの言葉が出てくるが、よく注意して読まないと読者はうっかり見落としてしまうかもしれない。見落としても小説を読むうえでとくに支障はないが。初出は「ニューヨーカー」一九八六年四月二十八日号。
わけのわからない間違い電話が未明にかかってきて、夫婦がそのまま眠れなくなり、二人でベッドに横になったまま煙草を吸いながら健康問題についてあれこれ話し合っているうちに、なんとなく安楽死についての真剣な会話となり、それがそのままずるずると尾を引くことになる。この短篇小説の基調をなしているのはやはり不安であり、混乱であり、恐れであるといってもいいだろう。レイ・カーヴァーの小説にはエピソードが多くて、それが変な方向に枝葉的に伸びていくのがひとつの語り口の魅力になっているわけだが、ここではカーヴァーはかなりストレートに中心テーマを追究しているように訳者には感じられる。歳を取って自分の身体が自分の意思とは無関係に凋落していくことへの暗い予感。主人公はべつにそんなことを考えたくはないのだけれど、妻によって否応なくその話題に引きずり込まれ、死についてのひとつの明確な解答を要求されることになる。主人公は話を簡単に別の方向に持っていくことはできない。それは避けて顔を背けることのできないものである。彼が正面からしっかりと向かい合わなくてはならない問題である。
この小説を書いている時点でカーヴァーが自分の健康についてどの程度の問題なり不安なりを抱えていたのか、訳者にはわからない。ただ単に年齢による身体の衰えを感じていただけなのかもしれない。あるいは自分の中で何か不吉な物事が進行しつつあるのを、ある種の直感として彼は捉えていたのかもしれない。しかしいずれにせよ、そこにはたしかに目を細めてじっと何かを見つめるときのような、緊張の気配があるように感じられる。彼はそこにある何かを見ているはずなのだけれど、何を見ているのかは我々にはわからない。
最後の方の「そう、僕はなんだか自分が目に見えない一線を跨いでしまったみたいに感じるのだ。自分がそんなところに来ることなんてあるものかと思っていた場所に来たみたいに感じるのだ。どうしてこんなところに来てしまったのか、わけがわからない。ここは奇妙な場所だ」という一節は、最初に読んだときにはそれほど深刻には感じなかったのだけれど、カーヴァーの死をはさんであらためて今読み返すと、これはかなり重い。その前のシーンで奥さんのアイリスとの、雲間からさっと光がこぼれるような心の交感があり、これでやっとコーダに向けて作品の気分が上向いてくるのかなという予感があるだけに、転換はよけいにシリアスであり、さらに言えば、いささか不気味である。そして最後の電話のプラグ抜きのシーンは、「電話のラインは切れて、もう何も聞こえない」という一行ですぱっと終わる。文字どおりのブラックアウトだ。これはあえて言うまでもなく、植物人間の生命維持装置の切断と重ねられているわけだし、死の象徴以外の何物でもない。
ほとんどが夫婦の会話で成り立っており、まるで一幕ものの芝居のような趣さえある。


そうですね、ひとことで言うと「不思議な味わいの作品」です。

つづきます。



   

~ Comment ~

なせだか 

わたしも見えない一線をまたいでしまったのか、この作品がおもしろくって。途中挟み込まれたいくつかのセンテンスが不思議と他人事におもえず笑ってしまいました。。。
たまに一睡も出来ずに朝を迎えてしまうことがあるのですけど、まさにこんなふうに思考が流れてしまうっていうか。夫が健康問題について”朝5時でないと出来ない話題”みたいに冗談めかして言いますが、これ、分かる‼って、わたしは眠れない時近からずも遠からずな事柄を延々とひたすらひとりで考えてますもん笑(さびしいやつ…) けど、身体はじっと動かないんですよ、動こうと思えば動けるけど。翌日、妻が言ってましたが、やっぱおかしいんだ~~笑
真夜中に何度も間違い電話を掛けてくる深刻で迷惑なチョイ役の女性も絶妙です。。。

他人事に思えないお話 

まおまおさん、おはようございます^^

>わたしも見えない一線をまたいでしまったのか、この作品がおもしろくって。途中挟み込まれたいくつかのセンテンスが不思議と他人事におもえず笑ってしまいました。。。

なるほど。そういうのってありますよね。

>たまに一睡も出来ずに朝を迎えてしまうことがあるのですけど、まさにこんなふうに思考が流れてしまうっていうか。夫が健康問題について”朝5時でないと出来ない話題”みたいに冗談めかして言いますが、これ、分かる‼って、わたしは眠れない時近からずも遠からずな事柄を延々とひたすらひとりで考えてますもん笑(さびしいやつ…) けど、身体はじっと動かないんですよ、動こうと思えば動けるけど。翌日、妻が言ってましたが、やっぱおかしいんだ~~笑

そうなのねー(笑)いついかなる時も熟睡してしまう身としては、己の図太さに恥じ入るばかりです。

>真夜中に何度も間違い電話を掛けてくる深刻で迷惑なチョイ役の女性も絶妙です。。。

うんうん。そういう人物造形ってカーヴァーはとても巧いですよね。
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