デニム中毒者のたわごと

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レイモンド・カーヴァーに学ぶ  その70

 
「焔――文学と影響について」の続きです。

このように苛酷なまでに育児に追いまくられて、わたしには何らかの長編作品について考える暇も気持ちもなかった。そんなことは、生活環境が、D・H・ロレンスの言葉を借りれば、生活の「束縛と打撃」が許してくれなかった。子どもがいる生活環境が、それとはちがう創作を強いたのである。もしわたしが何か作品を書き、それを完成させたければ、また完成した作品から満足を得たければ、短編小説や詩に専念しなければならない。つまり、腰を落ち着けて書き始め、運がよければ、素早く完成までこぎ着けられるような短い作品である。かなり長時間、落ち着いて何かに集中できない性分なので、長編小説を書くのは、きついにちがいない。そんな風に、ずっと昔から、アイオワ・シティに住むずっと前から、わたしは考えていた。いま振り返って見ると、あのひどく飢えていた時期に、欲求不満で徐々に気が変になっていたように思う。それはともかく、こうした生活環境が、全面的に、わたしの作品が取るべき形式を規定したのである。もちろん、わたしは不満を述べているわけではない。未だに戸惑っている、重苦しい心の底から、事実を述べているにすぎないのだ。
仮に構想をまとめ、長編小説に全精力を注ぐことができたとしても、数年先になるかもしれない報酬を待っていられるような立場に、わたしはいなかった。先が見えなかったのだ。腰を落ち着け、いますぐにも、今晩中にも書き上げられるものを書かなければならなかった。あるいは、少なくとも明日の晩か、仕事から帰ってきて興味が失せないうちに、書かなければならなかった。当時は、いつも何らかの半端仕事をしていた。妻もそうだった。ウェイトレスをしたり、訪問販売をしたり。何年もたってから、妻は高校で教えもした。だが、それはずっと後のことである。わたしはといえば、製材場、ビルの管理、運送配達、ガソリンスタンド、倉庫番――あなたの知っている仕事は、何でもやった。ある夏のこと、カリフォルニア州アーカタで、生計のために、昼はチューリップの摘み取り作業をして、夜は夜で、閉店後のドライブインのレストランの掃除と、そこの駐車場の清掃をしたものである。一度など、ほんの数分間ではあったが――求職申し込み書を前にして――取り立て屋になろうか、と思ったこともあった。
当時は、仕事と家事の後で、かろうじて一、二時間を自分のものにできたら、それだけで有難かった。それだけで天国だった。そういう時間が取れるだけで、幸せな気分になれた。しかし、時には何らかの理由で、そういう時間が取れないこともあった。そんなときは、土曜日を待つことにした。ただ、時には、そんな土曜日も台無しにするようなことが、まま起こったものだが……。しかし、そういうときには、日曜日に希望をつないだ。たぶん、日曜日なら……、とばかりに。
そんな流儀では――というか、流儀などないのだが――長編小説の執筆など思いもよらなかった。小説を書くには、作家は意味ある世界に住んでいなければならない、そうわたしには思えた。それは、いわば作家が信じることができ、それに照準を合わせて、正確に書くことができるような世界なのだ。それはともかく、しばらくのあいだ、一つところに固定しているような世界である。と同時に、作家は、そうした世界に本質的な正当性を認めなければならない。つまり、見知った世界には存在理由があり、書くに値し、しかも書いているうちに、そうした世界が煙のごとく消え去るようなことはない、といった信念がなければならない。わたしがよく知り、生きている世界は、そんなものではなかった。わたしの世界は、日ごとに、規律とともに、歯車も方向も変わるように思える世界だった。翌月の上旬より先のことは、まったく見通しもめどもつかず、家賃を払ったり、子供たちに通学服を買うために、なんとか金を工面しなければならない、そういった立場にわたしは幾度となく追い込まれたものである。これは紛れもない事実だ。
わたしはいわゆる文学修行の、形に表れた成果をみたいと思った。伝票も口約束も、証書も御免だった。そういうわけで、わたしは意図的に、しかも必要に迫られて、一度か、あるいはせいぜい二度で書き上げられそうな作品だけに限定した。いま話しているのは、最初の草稿のことである。わたしはいつも忍耐強く推敲することにしているが、当時は、推敲のときがくるのが待ちどおしくてしかたなかった。わたしが喜んで取っておいた時間が、それによって消費されるからだ。ある意味で、わたしは執筆中の短編や詩を焦って完成させたりはしなかった。というのも、一つの作品を完成させたら、ほかのものを書き始める時間と信念を見い出さなければならなくなるからだ。そういうわけで、草稿ができてから、わたしはその一編の作品に辛抱強く付き合った。かなり長いこと家のなかに放っておき、あれこれ手を入れて、言葉を削ったり補ったりしたのである。
こうした行きたりばったりの創作が二十年近く続いた。もちろん、あの頃にも楽しいことはあった。人の子の親だけが味わえる大人の喜びや充実感。だが、もう一度あの頃のことを経験するくらいなら、毒を飲んで死んだ方がましだと思う。


おそらく――いや、まず間違いなく――これがカーヴァーの本音だとは思うんですが、実際に当時を過した元家族たちのことを思うと、割り切れなさが募ります。

わたしの生活環境は、いまではすっかり変わってしまったが、それでも敢えて短編や詩を書こうとしている。少なくとも、わたしにはそう思える。たぶん、あの頃の創作癖が身に付いてしまったのだろう。たぶん、何か――自分が望むものならば、何でもいいとは!――を執筆する時間が大量にあり、しかも、椅子を持っていかれてしまうのではないかと心配したり、また、どうして夕食ができていないのかと、子どもに文句をいわれるのではないかと心配する必要のない、そういう立場から思考することに、わたしがまだ馴れていないからかもしれない。とはいえ、わたしは道すがらいくつかのことを学んだ。その一つは、「身を任さなければ、身を崩す」ということだった。もっとも、「身を任せたがために、身を崩す」ということも学んだのだが……。

とはいえ、カーヴァーは自身の人生に起こったことのすべてを「ありのまま」に受け入れてはいるようです。そのあたりに一種の救いは感じられますね。

つづきます。



   

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