デニム中毒者のたわごと

Literature

レイモンド・カーヴァーに学ぶ  その68

 
今度は同じ雑誌(『ユリイカ』――『変貌するアメリカ文学』一九八七年十月号)の中にある「焔――文学と影響について」を紹介しましょう。訳は越川芳明さんです。

影響とは威力である。環境によるものにしろ、個性によるものにしろ、潮の満ち干のように避けがたいものだ。わたしに影響を与えたかもしれない書物や作家について、語ることは無理だろう。そのような影響力、つまり文学的な影響力を、多少とも確信を持って規定することは難しい。これまでに読んだすべての作品から影響を受けたと、わたしがいえば、どの作家からも影響を受けなかったというのと同じように、不正確になってしまう。たとえば、わたしは長いことアーネスト・ヘミングウェイの小説と短編の愛読者だが、ロレンス・ダレルの作品もまた言語の扱いがすぐれているし、何よりも傑作であるように思える。もちろん、わたしはダレルのような文章は書かないので、ダレルがわたしにとっての「影響力」でないことは歴然としている。また、わたしの作品はヘミングウェイの作品に「似ている」といわれることがあるが、しかし、ヘミングウェイの作品がわたしのそれに影響を与えたとはいえない。ヘミングウェイはダレルと同じように、わたしが二十代のときに初めて読み、感銘を受けた数多くの作家の一人にすぎないからだ。
このように、文学的な影響力についてはよく分からないのだが、ほかの種類の影響力ならば、わたしにも多少思うところがないわけではない。わたしが多少とも知っている影響力とは、往々にして一目見たとき神秘的でありながら、奇跡的なものにならずに、その一歩手前で終わってしまうことがあるのだ。しかし、こうした影響力は、わたしの仕事が進行するにつれて明らかになってきた。こうした影響力は冷酷無比だった(いまでもそうである)。そのために、わたしはこちらへ、ほかの――たとえば、この湖の向こう岸のあのーー岬ではなくて、この岬へ来ざるを得なくなるような、そんな影響力だった。しかし、わたしの人生と文学が受けた主な影響が、わたしが思うようにネガティヴなもので、抑圧的で、しばしば悪意に満ちたものだとしたら、それをどうすべきなのだろうか。
まずこのエッセイを書いているのは、ニューヨーク州サラトガ・スプリングスの近郊、ヤドゥといしうところだといっておこう。八月上旬の、日曜日の午後。実に頻繁に、二五分かそこらおきに、三万人の声が大喚声となって聞こえてくる。この物凄い大喚声は、サラトガ競馬場からやってくるのだ。いま有名な競技会が行われている。わたしがペンを走らせていると、二五分おきに出走馬の名前を告げるアナウンサーの声が鳴り響く。観客のどよめきが次第に増す。木々を越えてくる。胸が昂ぶる大喚声。馬がゴールに入るまで轟きわたる。レースが終わると、わたしはまるでその場にいたかのようにぐったりと疲れてしまう。配当金が貰える勝ち馬の、あるいは接戦でゴールに入った馬の馬券を握り締めている自分の姿を思い浮かべたりもする。写真半判定にもつれ込んだときなど、一、二分後に、写真が現像され公式順位が発表されると、ふたたび大喚声が沸き上がるのだ。
ここに来て数日、拡声器から鳴り響くアナウンサーの声と、観客の熱烈な声援を聞きながら、わたしはかなり前にしばらく住んでいたことがある町エル・パソを舞台にした短編を執筆している。題材はエル・パソ近郊の競馬場に出かける人びとだ。この物語は煮詰まっていたわけではない。けっしてそうではない。仮にそういったりすると、何か別のことをいっているような感じがしてしまうかもしれないが、この短編に限っては、作品として形をなすために何かが必要だった。ここヤドゥにやってきて、観客の大喚声と拡声器から流れるアナウンサーの声を聞いて、あのエル・パソでの生活のいくつかの記憶が蘇り、この短編のヒントになったのである。自分が出かけていったあの競馬場のことや、ここかに二千マイルも離れた所で起こったこと、起こったかもしれないこと、また――わたしの短編のなかで――「これから起こる」ことを思い出したのだ。

「わたしの短編のなかで『これから起こること』を思い出した」ってのがいいですね。

そういうわけで、短編の進行中にも、この手の「影響」を被っている。むろん、どんな作家でもこの種の影響は被るだろう。これは最もよく見られる影響である。AがBのヒントになり、さらにBがCのヒントになるといった具合に。これは雨水のように、どの作家にも共通した、ごく自然な影響である。
ところで、本論に入る前に、いま述べた影響に類似した例をもう一つ挙げておこう。さほど昔のことではないが、シラキュースの拙宅で短編の執筆中に、電話のベルが鳴ったのだった。わたしは電話に出た。先方は明らかに黒人と分かる声で、ネルソンという名の知合いを出してくれという。まちがい電話なので、そう断わって、わたしは電話を切った。そして、ふたたび短編にもどった。しかし、わたしはすぐさま一人の黒人をその作品のなかに登場させていた。ネルソンという名のいくぶん陰険な人物を。そのときから、物語はそれまでとはちがう展開を見せた。いまから見ると幸いなことに、なぜかそのときにそうなることは分かっていたのだが、実に物語にふさわしい展開だった。書き始めたときは、ネルソンを登場させるつもりなどなかったし、そうした必要性もあらかじめ念頭にはなかった。だが、いま作品ができあがり、まもなく全国紙に掲載されるといった段になってみると、ネルソンが登場し、しかも陰険な性格を帯びて登場したことは、物語にふさわしく、好都合な展開だと思えるし、おそらく美学的にも正しいといえるだろう。同時に、わたし自身にとっても好都合だったのは、この登場人物が、偶然に、しかも十分信頼できるほど適切に、わたしの物語に忍び込んできてくれたことだった。


「偶然」といえば何といってもポール・オースターですが、だからといって、「ご都合主義」に堕してしまっては鼻白むばかりです。というのも、7月クールで始まったTBSのドラマ『ごめん、愛してる』のあまりの酷さにちょいと腹を立てているもので(笑)、ここのところは力説しときます(せっかくのキャストなのに勿体ないです)。

わたしは物覚えが悪い。自分の身に起こる多くのことを忘れてしまう――これは、きっと喜ばしいことだろう――自分の住んでいた町にしろ都市にしろ、人の名前にしろ、その人本人のことにしろ、まったく説明することも、思い出すこともできない長い期間がわたしにはある。長い空白期間。しかし、そういうわたしにも、多少は思い出せることがある。ささいなこと。誰かが何かを独特な喋り方でいったとか、誰かのけたたましい、あるいは低音の、引きつった笑い声とか、風景とか、誰かの顔に浮かんだ悲しみの、あるいは困惑の表情とか。また、ドラマチックなこともいくつか覚えている。誰かがナイフを手に持ち、怒り狂ってわたしに襲いかかってきたこととか、誰かを脅している自分自身の声を聞いたこととか。誰かがドアを壊すところや、階段からころげ落ちるところを見たこととか。そうした比較的ドラマチックな出来事は、すべてとはいえないまでも、必要とあれば、思い出すことができる。だが、交わした会話をそっくりそのまま、そのときの動作やニュアンスを失わずに復元できるほどの記憶力を、わたしは持ち合わせていない。

三島由紀夫さんは、自分が生まれた瞬間の記憶を持っていると語っていたそうですが、フツーはカーヴァーが言うように、人間はそれほどの記憶力を持ち合わせていないようです(ただし、無意識にはきちんと記録されてはいるようですが……)。

いままで過ごしたことがある部屋の調度品も、あまり記憶にない。まして家中の調度品など思い出せるはずもない。競馬場についても、まあ、表面スタンドとか馬券売り場、場内専用テレビ、人混み、喚声などは思い出せるが、競馬場に特有の多くのものは忘れてしまっている。だから、わたし自身が物語のなかで会話を拵えるのである。そして、登場人物を取り囲む調度品や身のまわりの道具を、必要とあらば、物語のなかに投げ込む。時として、わたしの作品は飾り気がないとか、贅肉がないとか、「ミニマリズム」だとかいわれることがあるが、それはこうしたことに起因しているのかもしれない。しかしながら、いまわたし流の書き方で、わたし流の作品を書くようになったのは、必要性と便宜性が執筆中に結びついたからにほかならないかもしれない。
もちろん、わたしの短編は、どれも実際に「起こった」ことではない。わたしが書いているのは、自伝ではない。ただ、作品のほとんどが、ほんの微かながら、実人生の出来事や状況に類似している。しかし、物語の状況に関する身のまわりの道具なり、調度品を思い出そうとすると(仮にあったとしても、どんな花があったか。匂いはしたか、等々)、わたしは途方に暮れてしまう。そういうわけで、わたしは創作の過程で、拵えるのである。物語の人物たちが互いに交わす言葉はもちろんのこと、あれこれいった後で、かれらがどんなことをしたか、それからどんなことがあったか、そういったことを拵えるのだ。こうして、わたしは登場人物たちが互いに交わす言葉を拵えるのだが、そのなかには、かつてどこかで実際に耳にしたことがある台詞が、語句にしろ、文にしろ、混じっているかもしれない。そうした一文が物語の出発点になったことさえあるかもしれない。


納得です。自分にも思い当たるところが多々あります(「忘れ去ったこと」も含めて「=記憶」なんだと体験的に思っています)。

つづきます。



   

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