デニム中毒者のたわごと

Literature

レイモンド・カーヴァーに学ぶ  その66

 
「家のなかの物語」の続きです。

――飲酒について聞かせてください。

カーヴァー 二〇代後半か三〇代前半のことだけど、ぼくたちは依然貧困にあえいでいて、過去に破産したことが一度あり、何年も汗水たらして働いたのに、その報いといえば、ポンコツの車とレンタ・ハウスぐらいで、つねに新たな債権者に追いまくられて、憂鬱な毎日で、ぼくは精神的に参ってしまってね。そのころ、飲酒が深刻な問題になった。ぼくは諦めてしまって、リングにタオルを投げ込んで、いわば真剣な探究をするみたいに、一日中酒に浸るようになったんだ。

――そのことについて、もっと話してください。実に多くの作家が、たとえアル中ではないにせよ、浴びるほど酒を飲むようですから。

カーヴァー たぶん、かの専門家たちが飲む量とあまり変わらないだろうけど、きっと驚くよ。もちろん、酒にまつわる伝説もあるようだけど、ぼくは一度もそこまでは行かなかった。飲酒そのものに、のめり込んでいたから。おそらく、ぼくが浴びるように酒を飲み出したのは、ぼく自身の人生と執筆に関して、妻と子どもたちの人生に関して、ぼくが望んでいたことがまったく実現しそうもないってことが分かったからだと思う。ほんとに不思議なことたけど、だれも好きこのんで破産者やアル中になろうとか、詐欺師や泥棒になろうとか、そんな志しを持って人生を始めるわけじゃない。それをいうなら噓つきもそうだけど。

――あなたは、そのすべてだった?

カーヴァー そう。でも、いまは、そうじゃない。いや、嘘は、時どきつくよ。みんなと同じようにね。

――酒を止めてからどのくらいですか。

カーヴァー 止めたのは、一九七七年の六月二日。それをほかの何よりも、ぼくは誇りに思っている。酒を止めたことをね。ぼくは、いわば恢復したアル中さ。いつ何時アル中になるかもしれないけど、いまは常習者を止めちゃったから。

――どんなふうに止めたんですか。よく止められましたね。

カーヴァー 一九七七年、ぼくが酒を止めた年だけど、僕は恢復センターに二度、病院に一度入っていた。まずカリフォルニア州サン・ノゼの近くのデュウィットというセンターで数日過してね。かつてこのセンターは、ちょうどお誂え向きなことに、精神病の犯罪者のための病院だったらしい。酒を止めようとしていた頃、ぼくは完全に手のつけようがなくなって、容易ならぬ事態に陥っていた。つまり、完全な記憶喪失。いったり、したりしたことがまったく思い出せなくなって。たとえば車の運転をしたり、読書をしたり、教鞭を取ったり、骨折した足を継いだり、だれかとベッドをともにしたりしても、後でその記憶がすっかりなくなってしまう。いわば、自動操縦士だね。いまでも、アル中の発作で打った頭に包帯を巻きながら、居間に腰を下ろして、片手でウィスキー・グラスを握っている姿が目に浮かぶよ。ばかばかしいね! それから二週間後に、また恢復センターに逆戻り。今度は、カリフォルニア州カリストーガにある、ダフィーズというセンターだったけど。そこがまたワインの産地でね。そのダフィーズに二度、サン・ノゼのデュウィットに一度、それからサンフランシスコの病院に一度。あわせて一、二ヵ月。ひどい経験だったと思う。そりゃ死にそうだった、まったく質素で単純な生活だったから。オーバーにいってるわけじゃなくてね。

――酒がある意味で、作品のインスピレーションになると感じたことがありませんか。『エスクァイア』に載った、あなたの「ウォッカ」という詩が、いま頭にあるのですが。

カーヴァー いや、とんでもない! そこのところをはっきりさせておきたいね。チーヴァーにいわせると、作家の作品にある「アル中の言葉」は、いつだって見分けがつくって。チーヴァーが何をいいたかったのか、はっきりしないけど、ぼくには、たぶん分かる気がする。一九七三年の秋からの学期に、アイオワ大学の作家セミナーで教えてたとき、ぼくとチーヴァーは、酒を飲むことしかしなかった。まあ、授業には出たけどね。でも、始終ぼくたちはそこにいて――キャンパス内にある、アイオワ・ハウスっていうホテルに住んでいたんだけど――どちらもタイプライターのカバーを取らなかったんじゃないかな。ぼくの車で、週に二度は酒屋に通ってね。

――蓄えておくために?

カーヴァー そう、蓄えておくために。でも、店は朝一〇時まで、開いていなくて。一度、ぼくたちは、いわば早朝襲撃、一〇時襲撃をかけるつもりで、ホテルのロビーで落ち合おうってことになってて、ぼくが朝早く煙草を買いに下に降りて行くと、もうジョンがロビーで落ち着きなく行ったり来たりしていてね。つっかけ靴は履いているんだけど、靴下は履いてなかった。それはともかく、ちょっと早めに出かけて、ぼくたちが酒屋に着く頃、ちょうど店員が店の錠を開けているところだったんだ。ジョンは、ぼくがまだちゃんと駐車してないのに、車から降りて、ぼくが店内に入って行くと、もう半ギャロン入りのウィスキーを持ってレジのところに立っているんだ。かれの部屋はホテルの四階で、ぼくは二階なんだけど、まったく同じ作りでね。壁に掛かっている複製の絵までも。でも、一緒に飲むときは、いつもかれの部屋だった。かれにいわせると、酒を飲みに二階まで降りてくるのが恐いって。つまり、いつ何時廊下で強盗に襲われるか分かったものじゃない! そういうんだ。もちろん、幸いアイオワ・シティを去って間もなく、チーヴァーは治療センターに入って、まともになって、亡くなるまでまともでいたけど。

――ところで、どこから作品のねたを捜してくるんですか。特に、飲酒に関係する短編については、自分自身の体験に着想を得ているのですか。

カーヴァー ぼくが最も興味を引かれるフィクションには必ず実人生と関連がある。もちろん、ぼくの短編は、どれ一つとして実際に起こったものじゃないけど、つねに作品の出発点になるかもしれない何かが、何らかの要素が、ぼくが見たり聞いたりしたことがある何かが含まれている。一例を挙げれば、「あなたが台無しにできるクリスマスも、これが最後よ!」っていうのがある。この台詞を聞いたとき、ぼくは酔っぱらっていたんだけど、忘れずに覚えていたんだ。後で、ずっと後になってから、素面のときに、たった一つだけその台詞を使って、後は想像力で拵えて、ある短編――「まじめな話」――を書いたんだ。実に正確に想像できたから、実際に起こったみたいに思えてね。
ところで、ぼくが最も興味を引かれるフィクションは、たとえそれがトルストイであれ、チェーホフ、バリー・ハナー、リチャード・フォード、ヘミングウェイ、イサーク・バーベリ、アン・ベイティ、アン・タイラーであれ、ある程度、みな自伝的に思える。少なくとも、関連性がある。長かろうが、短かろうが、物語は空気の希薄なところからは生まれない。それでいま、ジョン・チーヴァーを巻き込んだ、ある会話を思い出したけど、アイオワ・シティにいたころ、ほかの誰かと一緒にテーブルを囲んで座っていたとき、チーヴァーが口を滑らしていったんだ。ある晩、自宅で親子喧嘩をして、その翌朝、かれが起きがけにバスルームに行くと、そこの鏡に娘が口紅で書いたらしい文字が映ってたって。「お父さん、わたしを捨てないで」ってね、書いてあったらしい。そしたら、テーブルにいた人が発言して、「それ、あなたの短編にありましたよ」っていったんだ。で、チーヴァーは、「たぶんそうかもしれない。ぼくの作品はみな自伝的だから」って答えてね。もちろん、そのことは、文字通りそうじゃないけど、ぼくたちが書くものは、みな、多かれ少なかれ、自伝的だってこと。「自伝」小説だって、ぼくはいっこうに構わない。構わないどころじゃない。『路上』セリーヌロス・ロレンス・ダレルの『アレキサンドリア・カルテット』ヘミングウェイのニック・アダムズ物語の大半。もちろんアップダイクも。ジム・マコンスキー。クラーク・ブレイズは現代作家だけど、その作品は、純然たる自伝だしね。もちろん、実人生を小説にするときは、自分が何をしているのか知らなきゃならない。もの凄く大胆にならなきゃならないし、技巧にたけ、想像力豊かで、自分自身のすべてを進んで語らなきゃならない。これはよくいわれることだけど、自分の知っていることを書いているときに、自分の秘密ほどよく知っていることはないからね。でも、特に優れた作家でない限り、しかも才能ある作家でない限り、「我が人生譚」を何冊も書こうとするのは、とても危険なことなんだ。少なくとも、美味しそうに見えるネタだし。自分の小説へのアプローチで、あまりに自伝的になりすぎてる作家が少なくないからね。いわば、自伝ちょっとに、想像力たくさん、これがベストだと思うよ。


頷けることばかりです。

つづきます。



   

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