デニム中毒者のたわごと

Literature

レイモンド・カーヴァーに学ぶ  その55

 
越川芳明さんの寄稿文の続きです。

「省略の美学」から「語りの美学」へ

さて、カーヴァーは八十年にシラキュース大学の英文科に教授として招聘された。もちろん七十年代の前半にもカリフォルニアの大学をはじめとして創作科で教える機会があったが、それは一年契約かそれより短い期間の職にすぎなかった。しかし、今度は自分が学生の頃は入りたいと思っても入れなかった一流大学の「常勤ポスト」であり、しかも英文科の教授だった。それまでにカーヴァーは詩集二冊に短篇集三冊、あわせて五冊の作品があったが、『頼むから静かにしてくれないか』以外はすべて、大学あるいは小出版社から刊行されていて、おそらく部数も少なかっただろうから、この職にありつけたことは、経済的にずいぶん助かったに違いない。よいことは重なるもので、カーヴァーはこの年に全米芸術基金より二度目の助成金をもらっていた。後から考えてみると、四二歳で初めて「ツキ」みたいなものがまわってきて、暮し向きがましになり、カーヴァー自身も落ち着きを取り戻し始めたかもしれない。
カーヴァーとテスは、アリゾナ州ツーソンからニューヨーク州シラキュースに移った。そして、創作の上でも大きな転機がやってきた。結論を先にいってしまえば、それは「身を削るようなミニマルな文体」から「細った身体に肉づけを施す、ナラティヴな文体」への一大転換であり、いわば「ミニマリズム文学」からのあっという間の決別だった。翌年の四月に大手クノッフ社から出ることになっていた短篇集『愛について語るとき……』の原稿をすべて手渡してから、カーヴァーはほぼ半年間何も書かなかったという。そして、最初に書いたのが「大聖堂」というタイトルの、『アトランティック・マンスリー』誌八一年九月号に載った短篇だった。
これは誰もが認めるように、以前のカーヴァーとはまったく違って、小説の緊迫感よりは優しい味わいを重視した作品だった。アメリカの批評家としては、大御所的存在のアーヴィング・ハウは「より大きなスコープと、より繊細なニュアンスにむけて奮闘した」といい、そうしたカーヴァーの変化に作家としての成長を読み取った。また、日本にカーヴァーを紹介するのに大きな役割を果してきた村上春樹氏は、この作品を含む短篇集『大聖堂』がいちばん気に入っているといい、こういう。「この短篇集には小説世界の枠をひとつぐっと押し広げたカーヴァーの喜びと自信が未知ふれている。新しい地平に足を踏み入れたカーヴァーの興奮のようなものがこちらにひしひしと伝わってくる」と。
この短篇は、前作『愛について語るとき……』で突き詰められた「省略の美学」から自己を解放することに一役買っただけでなく、自己の過ちを贖罪するような作品をつぎつぎと生み出す出発点になった。「この作品はたんに書き方の変化だけじゃなく、生活の変化を反映しているかもしれない……この短篇を書いたとき、目の前がぱっと開けたのです。わたしはそれまで作品の骨というより、骨の髄まで削り取りながら、別の道を可能な限り極めていたんです。その道をどう進んでも、行き止まりがあるだけでした」とはカーヴァー自身の言葉である。
短篇「大聖堂」はじっさい、小説の中で何らかの人間的な過ちが救われる短篇だった。タイトルに暗示されるように、この小説の中にカーヴァーの「カトリック的な改宗」の始まりを読み取る批評家もいる。それはともかく、これ以降カーヴァーは、堰を切ったようにこうした地獄の中で一点の光りを見るような「小さな救い」の瞬間なり、あるいは醜いものやおぞましいものに対する主人公の価値観なり偏見が改められるような「啓示」の瞬間を尊ぶ物語りを朴々と語り始める。たとえば、「羽根」とか「僕が電話をかけている場所」とか「轡(くびき)」などがそうである。
と同時に、小さな出版社から出すことになる『焔』と『僕の身にもなってくれ』のために、前作『愛について語ること……』で徹底的に縮めてしまった短篇をもとの長さに復帰させて、書き直したのもこの時期だった。たとえば、「足もとに流れる深い川」などは、こうして二度変身することになる。同様にして、よく引き合いに出されるように「風呂」は二倍の長さの「ささやかだけど、役にたつこと」に書き換えられ、短篇集『大聖堂』にまったく別の作品として収録され、生まれ変わった。
カーヴァーは、この短篇集『大聖堂』で数々の栄誉を手に入れ、作家としてのゆるぎない自信を得た。カーヴァーにとっては、何よりも偏執狂的な『書き直し魔』から脱皮できたのが大きかったようだ。長いものを書くためには、作家は多少ルーズになる必要があるということである。この短篇集はビューリッツァ賞と全米批評家協会賞の候補作になり、その中の一編「ささやかだけど、役にたつこと」が最優秀オー・ヘンリー賞を受賞した。さらに、前にも触れたように、現役の作家が生活の心配なく創作できるように、五年間にわたって金銭的な援助をする「ミルドレッド・アンド・ハロルド・ストロース賞」の第一回受賞者になった。
この賞により、カーヴァーはシラキュース大学での職を辞して、生れて初めて専業の作家になった。これはカーヴァーが四五歳のとき、亡くなる五年前の出来事だった。


つづきます。



   

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