デニム中毒者のたわごと

Literature

レイモンド・カーヴァーに学ぶ その30

 
先に村上春樹さんが言及していたように、レイモンド・カーヴァーが最初に紹介されたのが文芸誌『海』でした。幸いその号(1983年5月号)が手元にありますので、その巻末に置かれた村上春樹さんの文章「レイモンド・カーヴァーについて」を紹介しましょう。

レイモンド・カーヴァーについて
                     村上春樹

短篇集『愛について語ろうとする時我々が語ること』(What We Talk About When We Talk About Love)のカヴァーの解説によれば、レイモンド・カーヴァーは一九三九年にオレゴン州のクラツカニーで生まれたことになっている。一方バンタムのアンソロジー「West Coast Fictions」の解説では一九三八年生まれになっている。どちらが正しいのかはよくわからない。



彼のその後の経歴についても、詳しいことはわからない。学歴・職歴も不明である。バンタムの解説には「彼はその後、詩作と短篇小説の分野で目ざましい成果をあげ、数々の賞を受けることになった」としか書いていない。彼の受けた賞あるいは奨学金にはジョセフ・ヘンリー・ジャクソン賞、NEA補助金、グッゲンハイム・フェロウシップhttps://en.wikipedia.org/wiki/Guggenheim_Fellowship等があり、また一九七六年に発表された彼の処女短篇集『どうかお静かに』(Will You Please Be Quiet,Please?)は全米図書賞にノミネートされている。



どうやらこの時点では春樹さん、カーヴァーのことを殆ど知らなかったようですね。その後の傾倒ぶりを考えると不思議な気がします。いや、しかし、出逢いというのは案外そんなものかもしれません。

上記二冊の短篇集の他にもう一冊『怒りの季節』(Furious Seasons,一九七七)という短篇集と、三冊の詩集が出版されているが、いちばん新しい『愛について……』をのぞけば現在本国ではどうやら全て絶版になっているようである。それほど評価されている作家の作品集がペーパーバック化もされずに絶版になっていくというのは日本の出版状況からすればちょっと信じがたいことだが、ジョン・アーヴィングの作品さえ『ガーブ』がヒットするまでは全て絶版になっていたことを考えると、あるいはこれも当然ということになるなるのかもしれない。またアメリカにおける短篇小説の地位の急激な凋落もその大きな一因であろう。


こういう発言を聞くと昔日の感がありますね。春樹さんが語る当時のアメリカ出版界は、まるで現在の日本の状況のようです。

カーヴァーは「エスカイヤ」、「ニューヨーカー」といった一流誌にももちろん作品を寄せているが、主な活躍場所はなんといっても「シカゴ・レビュー」、「カロライナ・クォータリー」、「アイオワ・レビュー」、「ミズーリ・レビュー」、「ニューイングランド・レビュー」といった地方文芸誌である。彼のような純粋な短篇作家にとってアメリカという国は決して暮らしやすい土地ではない。もちろん専業作家としてやっていくことは不可能で、アイオワ大学、カリフォルニア大学等の講師を経て、現在はシラキュース大学の英文学教授の職に就いているらしい。
先日「銀座百点」という雑誌に連載されている宮本美智子さんの「ニューヨークの作家たち」というエッセイ(面白いエッセイである)を読んでいたら、シラキュースに行った彼女の友人が「シラキュースに誰がいると思う? レイモンド・カーヴァーだよ! あのレイモンド・カーヴァーがここで教えながら書いてるんだよ!」という電話をかけてきたという文章があった。だから今でもまだ彼はシラキュース大で教鞭をとっているようである。
先にも述べたように、短篇小説の需要と市場が激減している現在のアメリカ文壇にあって、カーヴァーのように長篇を書かない短篇作家(彼の場合は詩も書くわけだが)の存在は稀である。長篇を書いてベストセラー・リストに送り込んで、やっと一人前という風潮があるから、誰もが長篇を書きたがる。そのことについてカーヴァーは「ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー」の「ストーリー・テラーのうちあけ話」というエッセイの中で次のように述べている。(一九八一年二月十五日号)


「二十七歳の年に、一九六六年のことだが、私は自分が長篇小説に対して神経を集中できないでいることに気づいた。ほどなく私は書く方だけではなく、長篇を読むことにさえ困難を感じるようになった。私の集中力がその寿命をまっとうしてしまったのである。それ以来私は長篇小説を書こうとするだけの忍耐力を持てなくなった。これには入り組んだ事情があるのだが、それを説明するとなると話がとても長くなるので、ここでは書かない。しかしそのおかげで私は現在、短篇と詩しか書かない作家になった、ということができると思う。とりかかる、一丁あがり、たらたらしないで、はいおつぎ、といったところだ。そうすることで私は、二十代後半にして、大いなる野望を捨ててしまったということができるのではないかと思う。もしそうだとしたら、それは私にとって良いことであったと思う。野心とちょっとした幸運は作家が書きつづけるために必要なものだが、大きすぎる野望と不運(あるいは運のかけらもないこともある)は作家の命取りになるからだ。そこにはそれだけの才能がなくてはならないのである。」

つづきます。



   

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