デニム中毒者のたわごと

Literature

レイモンド・カーヴァーに学ぶ その28

 
村上春樹さんの解説の続きです。

僕が最初に読んだレイモンド・カーヴァーの作品は『足もとに流れる深い川(So Much Water So Close to Home)』である。これは「West Coast Fictions」というペーパーバックのアンソロジーに収録されていた。それを読んだのがたしか一九八一年くらいで、僕はその短編小説の持つインパクトに文字通り圧倒されてしまった。なんだか真っ昼間に唐突に落雷に打たれたような気がしたものだ。それが僕とレイモンド・カーヴァーの出会いだった。レイモンド・カーヴァーという作者の名前は聞いたことがなかったけど、「これはなにしろすごい作家だ。僕がなんとしても翻訳をしなくては」と思って、(おおげさに言えば震える手で)すぐさま翻訳にかかった。そしていくつかの彼の短編小説を雑誌『海』(当時中央公論社が刊行していた文芸誌)に持ち込んで掲載してもらった。その時点ではレイモンド・カーヴァーという作家の名前を耳にしたことのある人は、日本にはごく僅かしかいなかったはずだ。僕だって彼がいったいどういう経歴を持つ人なのか、どんな仕事をしてきた人なのか、ほとんど知識を持たなかった。しかしありがたいことに、僕の訳した彼の短編は日本の読者のあいだで少なからぬ反響を呼んだ。
以来僕はカーヴァーの作品をひとつひとつ、ほとんど個人的な純粋な楽しみとして――そしてまたいささかの使命感に燃えて――翻訳してきたわけだ。同じ時代を生きる、脂の乗りきった作家が生み出していく作品を、まさに「リアルタイム」で片端から訳していった。それは至福に満ちた、実にスリリングな仕事だった。当時カーヴァーの発表する作品はどれをとっても、僕の喜びとなり滋養となる何かしらを必ず含んでいた。その翻訳作業は小説家としての僕にとっても、得がたい勉強になった。彼の小説のスタイルと僕のそれとはずいぶん違っているけれど、にもかかわらず学ぶところは多かった。彼の死後も、机の抽斗から発見されたいくつかの未発表作品を翻訳することができた。同じ小説のいくつかの異なったヴァージョンも翻訳した。詩もエッセイも残らず翻訳した。でもある時点でとうとう、翻訳するべきものがひとつもなくなってしまった。それが僕にとって、「本当に」カーヴァーが息を引き取り、この世から消えてしまった瞬間だったと言っていい。それはひどく物静かな、悲しい瞬間だった。
「カーヴァーの翻訳はむずかしいですか?」と聞かれることが多いが、これはなかなか答えにくい質問だ。カーヴァーはむずかしい言葉をほとんど使わないし、凝った文章表現を用いることもない。知的ゲームのような要素もない。そういうレベルでは「翻訳は易しい」と言えるかもしれない。しかしそのぶん――説明的要素が省かれているぶん――本当の文章というか、ニュアンスを日本語に移し替えるのはむずかしいと言えなくはない。アメリカ人に「カーヴァーの小説を翻訳している」というと、「あの空気を日本語に移し替えるのはずいぶん大変でしょうね」とよく言われる。そこまで大層なことかどうかはわからないが、翻訳しながら机の前で「どうしたものか……」と考え込んでしまうことがしばしばあったことも確かだ。ちょっとしたぶっきらぼうなひとことが、何ということもない日常的な動作が、作品の肝のような役割を果たすこともある。それをどのように訳すかで、話の印象ががらりと変わってくるかもしれない。
カーヴァーの翻訳をして、いちばん迷うことの多かったのが、人称代名詞の問題だった。彼の作品には一人称のものが多いし、そうでなくても会話の中で一人称がよく出てくる。もちろん原語では「I(アイ)」だが、それを日本語の「僕」にするか、「私」にするかで、全体の感じはかなり変わってくる。僕もケース・バイ・ケースで使い分けるようにしていたが、それは理屈でというよりは、むしろ感覚による選択だった。
僕がいくつかの作品の中で「僕」という一人称を使ったことで、「レイ・カーヴァーの世界に『僕』はないだろう」という指摘を受けたことが少なからずある。カーヴァーの小説はほとんどがワーキングクラス出身のアメリカ人の物語である。主人公がたとえ中産階級に属し、ホワイトカラーである場合でも、彼らはまるで経歴を詐称しているような後ろめたさを常に感じているように見える(作者自身がおそらくそうであったように)。そして常に何かしらの危機――経済的な危機とモラルの危機――に直面している。生活レベルを維持し、家族を維持することに汲々としている中年男たち。そこには往々にして救いが見えない。そういうハートブレイキングな世界を描くのに、「僕」という一人称は不向きではないかと。
でもそういう指摘をする人が見逃している(と僕には思える)のは、レイモンド・カーヴァーは十八歳で結婚して、その翌年にはもう子供をもうけているという事実だ。つまり彼は十九歳にしてすでに父親になっていたわけだ。上の子供が十歳になった時点でも、まだ二十代の青年だった。また彼はブルーカラーの、比較的貧しい家庭の出身ではあるものの、小説家になることを夢見て、なんとしても高等教育を受けたいと望む、高い志を持った青年でもある。しかし二人の小さな子供の存在が、彼にとっての重い足かせになっている。そういう文脈で見ていくと、「生活に追われる中年男」の物語と見えていたものも、実は「わけがわからないうちに人生の現実に巻き込まれ、その渦中でただ戸惑っている青年」の物語であるということになってくるかもしれない。そう考えれば「I(アイ)」が「僕」になるか「私」になるか(ほとんどの場合「俺」はちょっとそぐわない)、微妙に判断の分かれるところだということは、ご理解いただけるのではないだろうか?
個人的な話になるけれど、二十二歳のときで、まだ学生の身分だった。カーヴァーが結婚した歳より四つほど上だし、子供もつくらなかったけれど、それでも人生の筋道がきちんと見つけられないうちに、年若くして家庭を持つというのは、やはりそれなりに精神的負担が大きいものだ。青年カーヴァーが感じていたであろう戸惑いや心の揺れは、おおよそ想像がつく。僕としては、彼のとくに初期の作品については、そういう心情のようなものをうまく出したいと基本的に感じていたし、そんな僕の姿勢は、言葉の選択や人称の選択にも微妙に出ているかもしれない。
そういう意味ではカーヴァーの描く世界は、僕にとって個人的に近しい気持ちを抱くことのできる世界でもあった。そして僕はその小説世界を覆っている(ように見える)ハードさや薄暗さよりはむしろ、あちこちに漂う天性のユーモア感覚や、ざらっとした手触りの独特の不条理や、雲間にほの見える救いの徴のようなものを積極的に拾い上げていきたかった。


村上春樹さんの解説文はもう一回つづきます。



   

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