デニム中毒者のたわごと

Literature

レイモンド・カーヴァーに学ぶ その27

 
四年前にレイモンド・カーヴァーの評伝『レイモンド・カーヴァー 作家としての人生』が翻訳出版されました。2009年にはニューヨークタイムズ紙の「10 Best Books」にも選出されたカーヴァーの決定版とも呼べる評伝です。



評伝ですので、カーヴァーのヴォイスはありません(従って本書の翻訳は村上春樹さんではなく、星野真里さん――※ 女優さんではないです――がされています)。

とにかく分厚い本でして(何せ本文だけで736ページあります)、未だに読み通せていないのですが(ただし、このシリーズの資料として今までの記事の参考にはしました)、せっかくですので巻末にある解説文を紹介いたします。

嬉しいことに解説は村上春樹さんがされているんですよね♪

解説――身を粉にして小説を書くこと
               村上春樹

レイモンド・カーヴァーは一九三八年五月生まれだから、僕より(日本風に学年でいえば)十歳年上になる。もちろんだからどうというわけでもないのだけど、そのことはなぜかいつも頭の中にあった。「あの人はちょうど十歳、僕より年上なんだ」と。

この気持ちはとても良く分かります。自分にとっての春樹さんがまさにそうだからです(ということは、カーヴァーは――日本風学年でいえば――二十歳年長になるわけです。ただし、二十歳の頃のカーヴァーには既に二人の子供がいたわけで、そういう意味では「文学的おとっつぁん」と呼んでもいいかもしれません)。

彼が亡くなったのは一九八八年八月で、享年五十歳だった。僕はそのとき四十歳を目前にしていた。個人的な話をさせていただくと、前年の秋に小説『ノルウェイの森』が出版されてベストセラーになり、それに関連していろいろとややこしいこと、煩わしいことがあった。それでまた(当時住んでいた)ローマに戻って、そこで生活を送りながら次の長編小説『ダンス・ダンス・ダンス』を執筆しているところだった。
八月のあるひどく暑い日に、日本の知人から「レイモンド・カーヴァーが亡くなったらしい」という知らせがあり(その頃はまだインターネットなんてものはなかったから、ニュースが伝わる速度は遅かった)、びっくりすると同時に、大きなショックを受けた。カーヴァーは僕が敬愛する作家であり、その作品を熱心に日本語に翻訳してきた人であり、一度会って話をしたこともあった。本人も日本を訪れることを真剣に考えてくれて、僕は彼と日本で再会することを楽しみにしていた。その矢先のことである。体調がすぐれないということは耳にしていたが、まさかこんなにあっさりと亡くなってしまうとは思わなかった。作家としてのまさに全盛期を迎えているときの死である。惜しんでも余りある。
でもそれと同時に、こんな風にも思った。彼をこうして失ったことは本当に残念な、悲しい出来事ではあるけれど、五十歳まで生きて、これだけ多くの価値ある作品を書き上げ、それをあとに残して静かに世を去るというのは、ひとつの素晴らしい達成であり、美しい人生のあり方かもしれない、と。そのときの僕には――実に愚かしいことだが――五十歳というのはずっと先の方に控えている人生の立派な節目のように思えたのだ。そこは険しい山道の途中にある開けた台地で、こざっばりした展望台みたいになっており、「五十歳」と書かれた里程標が立っている。そこで一服して、冷たく澄んだ湧水で喉を潤し、振り返ってこれまで歩んできた人生の裾野を見渡すことができる。その台地の先には「老齢」というより険しい山道が控えている。
でもその十年後に自分が実際に五十歳を迎えてみて(それは『ねじまき鳥クロニクル』『アンダーグラウンド』『スプートニクの恋人』を出版したあとだった)、そこで判明したのは、五十歳という年齢は人生の立派な節目なんかではなく、実はぱっとしない中途半端な通過点に過ぎず、そこには見栄えのするものなどほとんど見当たらないという事実だった。里程標もなければ、澄んだ湧水もなく、クリアな人生の展望なんてまったく望むべくもない。そしてそのときに僕は深く反省することになった。「あんなことを考えるなんて、自分の気持ちを納得させる必要があったとはいえ、十年前の僕はなんと無神経で不遜だったんだろう」と。
僕自身のことを語らせていただければ、五十歳を迎えた時点では僕は小説家として、自分が書きたいことの――あるいは書けるはずだと感じていることの――まだ半分も書いていなかった。「もしこんなところで自分が病を得て、死ななくてはならないのだとしたら、悔しくてたまらないだろうな」とつくづく思った。文字通り死んでも死にきれない気持ちだ。
僕は五十歳というポイントを越えてから、長編小説だけに限っても『海辺のカフカ』を書き、『1Q84』を書き、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を書いた。その他にもいくつかの短編小説集と中編小説を書いた。もし作品目録からそれらの作品群がまとめて削除されるとしたら、それは(他の人がどのように考えるかはもちろんわからないが)僕としてはとても耐えがたいことだ。それらの作品は今では僕という人間の、欠くことのできない血肉の一部になっているのだから。一人の作家が死ぬというのは、ひとつの命のみならず、来るべき作品目録を据えたままこの世から消えて行くことを意味するのだ。
カーヴァーが死を目前にして、「五十歳で自分がこの世を去る」という事実をどのように受け止めていたのか、僕にはもちろん正確なところは知るよしもない。自分の病状がきわめて深刻なものであり、治癒の余地がほぼないことを彼は認識していた。その心情は晩年に書かれたいくつかの詩の中に、かなり明瞭に書き込まれている。しかしそれは言うなれば「公的」な表明のようなものだ。もちろんそれなりの覚悟のようなものはあったに違いないが、それと同時にカーヴァーには、最後の最後になって、自分の身に何かしら輝かしい奇跡が起こることをひそかに期待していたような節がある。カーヴァーのそれまでの人生では、普通では考えられないような奇跡的な出来事が何度も起こり、窮地に陥った彼をそのたびに救済してきた。もう一度そういうことが起こらないと誰に断言できるだろう? 僕としては彼に、そのような理不尽なまでに楽観的な希望を最後の最後まで抱いていてもらいたかったと思う。
カーヴァーの最期は本書の中でこのように描かれている。


レイは痛みを感じていて、どんな姿勢をとっても楽になることができなかったが、上機嫌だった。彼は〔付き添っていた――村上注〕エステスとチェーホフや映画について少し話をした。そのあとレイは眠ったが、エステスはずっと起きてレイの呼吸を聞いていた。
翌日の朝早く、レイが苦しそうな呼吸になった。エステスはテスを起こした。彼女はレイを抱き、小さな声で話しかけたが、レイは応えず、目も開けなかった。一九八八年八月二日、まもなく夜が明けようというころ、レイモンド・カーヴァーは息を引き取った。

この「上機嫌だった」という部分が、僕を少しだけほっとさせる。
そして僕は今、カーヴァーが亡くなったときの年齢よりもう十四歳も上になってしまった、そして人生の節々でカーヴァーのことをふと考える。「たった」五十歳で、志半ばにしてこの世を去らなくてはならなかった一人の優れた作家のことを、そしてその度に「僕はたまたまこうして生きていられるのだから、しっかりと良い仕事をしなくてはいけないな」と自らに言い聞かせることになる。そういう意味では、レイモンド・カーヴァーは亡くなった今でもなお、僕にとっての大事な文学的同行者であり続けていると言ってもいいかもしれない。


つづきます。



   

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