デニム中毒者のたわごと

novel

レイモンド・カーヴァーに学ぶ その22

 
その二ヶ月後、一九七八年の一月、私はヴァーモント州プレインフィールドにあるゴダード・カレッジのキャンパスにいた。そこにはトビー・ウルフもいて、たぶん私も似たようなものだったと思うが、今にも神経が切れそうなひきつった顔をしていた。彼はそのおんぼろのバラックの中の、監房のごとき部屋を与えられ、その隣には私の監房があった。その建物はかつては、ありきたりではない大学教育を求める裕福な家の子弟を住まわせるために使用されていた。トビ―と私はそこに二週間滞在することになっていた。そのあと自宅に戻り、五、六人の大学院生に、手紙のやりとりを通じて短篇小説の書き方を指導する。気温は(摂氏)マイナス十七度、地面には十八インチの雪が積もっていた。プレインフィールドはアメリカじゅうでもっとも寒い土地なのだ。
思うのだが、一月のヴァーモント州ゴダード・カレッジにいる自分に気づいたとき、トビーと私以上に仰天できる人間はほかにはいなかったはずだ。トビーがそこにいるのは、もともと来ることになっていたある作家が病気になって、ぎりぎりで予定をキャンセルしたからだった。その作家がトビーを代理として紹介した。プログラムの主宰者であるエレン・ヴォイトは、ろくに知りもしないトビーを招聘しただけではなく、奇跡中の奇跡と呼ぶべきか、何を思ったのか、アルコール中毒からの回復にとりかかったばかりの私まで呼んだのだ。
バラックでの最初の二日間、トビーは不眠症になって、一睡もできなかった。でもトビーが愚痴ひとつこぼさず、それどころか眠るのをやめたよというような冗談まで飛ばすところが、私は気に入った。気に入るという以上に、私は彼に惹きつけられたわけだが、それは彼の中に傷つきやすいものが感じとれたからだった。ある部分においては彼は私よりも更に傷つきやすかったし、それは並みのことではない。私たちのまわりには作家たちがいた。同僚、創作科の教師たちだ。その中にはアメリカじゅうでもっとも高く評価されている人々もいた。そのときトビーはまだ本を出していなかった。短篇小説をいくつか文芸誌に発表したことがあるだけだった。私は本を、正確にいえば二冊の本を、既に発表していた。しかしずいぶん長いあいだ何も書いていなかったし、小説家と名乗るのもおこがましいという気分だった。私はあるとき私自身の不安感に苛まれ、朝の五時に目を覚まして台所に行った。するとそこにトビーがいた。彼はテーブルに向かってサンドイッチを食べ、ミルクを飲んでいた。もう何日も眠っていないような血走った目をしていた(実際に何日も眠っていなかったのだが)。同じくらい気持ちが落ち着かない連れが見つかって、二人ともほっとした。私は二人分のココアを作り、私たちは話し始めた。朝早く台所のテーブルに座って、お互いの話をすることに大きな意味があったように思える。外はまだ暗く、ものすごく寒かった。枝が折れるぴしぴしっという音が耳に届くほどだ。流し台の上にある小さな窓から北極星を見ることができた。
そこに滞在したそれからの日々、暇があれば私たちは一緒にいた。一緒にチェーホフの授業を詩、ずいぶん笑った。私たちはどちらも今までは運が落ち込んでいたが、これからは風向きだって変わるかもしれないぞと考えていた。もしフェニックスに来ることがあったら、是非うちに寄ってくれと彼は言って、もちろんそうするよと私は言った。喜んで。それから私は彼に、つい最近リチャード・フォードに出会った話をした。フォードはたまたまトビーのお兄さんであるジェフリーの親友だった(そのジェフリーとは私も一年ばかりあとで会って、友だちづきあいをすることになるのだが)。この世界、どこかでつながっているわけだ。
一九八〇年にリチャードとトビーも友人になった。これら私にとっての友人同士が巡り会い、それぞれに相手を気に入って、友だちづきあいを始めるのは、私としては嬉しいことだ。そのことで私自身が豊かになったような気がする。しかしトビーに会う直前にリチャードが口にした懸念を私は覚えている。「きっと素敵な男なんだろう」とリチャードは言った。「しかし今のところ、これ以上友人を増やす《必要》を僕はあまり感じないんだ。今でも友だちが多くて、手一杯というところだよ。今のままでも昔からの友だちの相手も十分にできない」

私はふたつの人生を持った。一九七七年の六月に酒を断ったときに終わった。そのころには友だちはもうあまり残っていなかった。そのほとんどはちょっとした顔見知りとか、飲み友だちとかだった。私は多くの友だちをなくしていた。彼らは徐々に顔を見せなくなるか――誰に彼らのことを責められるだろう――あるいはただ単にすとんと落っこちるように視野から消えていった。そして、こちらの方がむしろ悲しむべきことなのだが、私は彼らを失ったことをとくに残念とも思わなかったし、また彼らが消えてしまったことに気づきもしなかった。
もしどうしてもそれを条件として選ばなくてはならないとしたら、たとえ貧乏で健康に恵まれない人生であったとしても、今の友だちがいる人生を私は選ぶだろうか? 答えはノーだ。私は友だちの一人を救うために救命ボートの席を譲り渡すだろうか――つまり進んで死ねるだろうか? いささかの躊躇はあるが、答えはやはり非英雄的なノーである。向うの方だって、誰一人、私のために死んでなんてくれないだろうと思う。それでいいのだ。そういうことについては私たちは完全に了解しているし、それ以外のたいていのことだって「そういうもんだ」と思っている。ある部分では、そう言う了解があればこそ私たちは友だちでいられるわけだ。私たちはお互いのことを愛し合っている。しかし自分自身のことはもっと可愛い。
写真に戻ろう。私たちは自分たちのことについても、人生のほかのことについても、喜ばしく思っている。私たちは作家であることを嬉しく思う。作家以外の何かになりたいなんて毛ほども思わない。それ以外のものになったことは、我々全員、その人生の過程において何度かあったことだが。しかしいずれにせよ、この三人をロンドンに集まらせてくれたことの成りゆきに対して、私たちはものすごく嬉しく思っている。私たちは、おわかりになると思うが、めいっぱい楽しんでいる。我々は友人なのだ。そして友人というものは、顔を合わせたら、めいっぱい楽しむものなのだ。


春樹さんがこのエッセイを絶賛したのは、全体を貫いているドライな感覚故なのでしょうか? たしかにリアルな感覚ではあるし、これが大人なんだろな……とも思います。でも個人的には、もっともっとウエットな関係の方が好みですし、そうありたいと思っています。

つづきます。



   

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)