デニム中毒者のたわごと

Literature

レイモンド・カーヴァーに学ぶ その17

 
「本の序文」の章には主に、カーヴァー自らが編集した本のために書いた序文が集められている(『知られざるチェーホフ』だけは他人の著書だが)。どれもかなり長い序文で、ある意味ではステートメントとしての機能をも果たしている。お読みになっていただければわかるように、これらの文章の中ではカーヴァーはかなり戦闘的な姿勢をとっている。彼が攻撃するのはいわゆる「スーパー・フィクション」、実験的で観念的な種類の「知的な」小説である。具体的に言えば、ドナルド・バーセルミやジョン・バースの亜流ということになる。カーヴァーはそれらの作品を徹底的に排除し、害をなすものとして攻撃する。現在の我々の目からすれば、「カーヴァーさん、なにもそんなにムキになることないでしょう」と声をかけたくなるわけだが(というのは、結果的にはカーヴァーの提唱するタイプの小説がもう一方を圧倒したことを僕らは知っているから)、当時としてはまだ両者(ニュー・リアリズム対スーパー・フィクション)のせめぎあいはかなり深刻で熾烈なものだったのかもしれない。カーヴァーの書く平明な文体のリアリズム小説に対する批判や軽侮のようなものが、とくにアカデミズムの場に空気としてあったことも想像にかたくない。当時の彼は大学の先生として、好むと好まざるとにかかわらず、そういう戦場に立たされていたのだ。僕もアメリカの大学に何年か在籍したからわかるのだが、アメリカの大学の文学部における文学的コレクトネス、スノビズム、あるいはエリーティズムの根強さ、固陋(ころう)さには、世間一般の想像をいささか超えたものがある。カーヴァーはおそらく「俺が矢面に立って、文芸エスタブリッシュメントを相手に一戦まじえてやろう」と決心したのかもしれない。
このような戦闘的なカーヴァーの姿を目にするのは、我々としてはいくぶん不思議な気がするわけだが、しかしそれと同時に、若い書き手たちに向けられる彼のまなざしは非常に優しく温かい。そこには先輩気取りの上から見おろすような恩着せがましさはまったく見受けられない。まさに慈愛に満ちているといってもいいくらいだ。実際のところ、彼のこのような留保のない賞賛をありがたく率直に受けとめ、今でもなおそれを励みにがんばっている中堅の作家が、アメリカの文学シーンには少なからずいる。彼はそういうひとつのエリアを作り出したのだ。それはカーヴァーがあとに残した重要な文学的功績のひとつと言って差し支えあるまい。いずれにせよこういう文章を読んでいると、カーヴァーという人は本当に親切で真面目な人だったんだなとつくづく感心してしまうことになる。それも外部向けのポーズではなく、地面にしっかりと根を下ろした、たしかな温もりをもつ親切さである。
最近のアメリカでは、短篇小説を掲載する商業雑誌の数がいくぶん減少しつつあるようだ。レイモンド・カーヴァーが成し遂げたいわゆる『短篇小説ルネッサンス』にいささかの現象的かげりが見えてきたのは残念なことだが、これは短篇小説が力を失ってきたからというよりは、むしろメディア業界の再編成によって雑誌そのものの性格が(おそらくは過渡的に)変質せざるを得なかったからではあるまいか。質的にいえば、アメリカ文学における短篇小説の勢いは決して衰えてはいないと僕は見ている。エッジのある短篇小説を書く若い書き手たちはぞくぞくと文学シーンに登場しているし、彼らは多かれ少なかれレイモンド・カーヴァーの影響を受け、彼の作品をひとつのランドマークとして育ってきた「子どもたち」である。彼らがポスト・カーヴァー世代として、更に言うならばアメリカ短篇小説の新たなるヌーヴェルバーグとして、我々の前に鮮やかに登場してくることを僕としては切に望む。そのときにこそ、レイモンド・カーヴァーという作家の真価がもう一段階かっちりと定まるのではないかと考えているからだ。


カーヴァーに対する春樹さんの深い愛情が伝わってくる文章ですよね。

つづきます。



   

~ Comment ~

スーパー・フィクション 

スーパー・フィクションというのですね、あのような実験的で知的な小説は・・・。やはりニュー・リアリズムとは敵対するんですね。別種が同じ場に居合わせると反目し合ってしまうものなのか(知りません)。当たり前だけど、賞賛と批判が重要なポイントになる世界なんだなあ、と思いました。(←ことごとく間抜けな発言)

好き嫌い 

まおまおさん、おはようございます^^

>スーパー・フィクションというのですね、あのような実験的で知的な小説は・・・。

いろんな呼び方がありますけど、一方にリアリズムを置くと、そうなるのかもしれません。ボクは嫌いじゃないですけどね(でも、こういう発言を聞くと、日本でのひと頃の「私小説」vs「SF」論争なんかを思い出します――主として筒井さんあたりが孤軍奮闘していた印象があります。結果的に「SF=最先端の現代小説」という認識を広く文壇・世間に認めさせたんですよね)。

>やはりニュー・リアリズムとは敵対するんですね。別種が同じ場に居合わせると反目し合ってしまうものなのか(知りません)。当たり前だけど、賞賛と批判が重要なポイントになる世界なんだなあ、と思いました。(←ことごとく間抜けな発言)

結局は論ずる側の好き嫌い(及び相性)が根本にあるような気がします。
ま、そういうのはしゃあないですけどね。
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