デニム中毒者のたわごと

Literature

レイモンド・カーヴァーに学ぶ その16

 
長篇小説の冒頭部分にあたる『「オーガスティン・ノートブック」より』が発表されたのは一九七九年のことで、このときにはカーヴァーはすでに独自のスタイルを確立し(最初の短篇小説集『頼むから静かにしてくれ』が発表されたのはその三年前のことである)、短編小説作家、あるいは詩人として、それほど広くとは言えないまでも、世間にある程度名前を知られるようになっていた。彼はこの長篇小説を書き始め、最初の章を大学文芸誌『アイオワ・レヴュー』に発表しただけで、あとを書きやめてしまった。本人は「私は生まれながらの短篇小説作家であって、長篇を書くのには向いていないんだ」とのちに説明していたが、僕としてはむしろ「作家としての資質云々よりは、それ以前に、作品そのものに無理があったんじゃないか」という感想を抱かないわけにはいかない。はっきり言って、こんな書き出しでそのまま長篇小説を書き続けるのは、ほとんど誰にだって無理じゃないかという気がする。書こうと予定しているものごとのイメージはほのかに見えるのだけれど、書き方に不思議なくらい腰が据わっていない。一組の男女が意味ありげな話をしているだけ。台詞はあるが、物語がない。話が託されるべき「もの」がどこにも見あたらない。ふだんのカーヴァーならこんな上滑りな書き方はしない。当時家庭が崩壊しつつあったという事情もあり、またアルコール中毒の症状にも悩まされ、相当なスランプの中にいたのだろう。
僕はカーヴァーに長篇小説を書く能力が備わっていなかったとは決して思わない。大長篇は無理にしても、準備さえ整えば野心的な中篇小説(あるいは短めの長篇小説)は間違いなく書けたはずだ。というか、彼としても短篇小説をあるところまできわめてしまえば、ゆくゆくはそちらの方向に進まないわけにはいかなかったはずだと考えている。そしてそれによってカーヴァーの小説世界はもっと大きく深く展開していったのではないだろうか、と。彼が病を得て若くして亡くなったことによって、そのような可能性が永遠に失われてしまったわけで、それはひとりの読者として残念でならない。

詩についてはとくに解説を加えるべきことはない。ただいくつか意味がわかりにくいところもあり、夫人テス・ギャラガーと監修者であるウィリアム・スタル氏にご教示を願った。(中略)
『英雄を謳うまい』、原題は“No Heroics,Please”、本のタイトルとあわせるためにこの題にしたが、この場合は『英雄詩はお呼びじゃない』としたほうがコミカルな効果は出るかもしれない。読んでいて思わずにやりとしてしまう詩だ。“No Heroics,Please”というタイトルは、カーヴァーの小説世界のひとつの側面をとてもよく表していると思う。彼は人生のある時点で英雄たちや、英雄たちの物語に別れを告げ、そのへんにいる人たちのために、そのへんにいる人たちの物語を書こうと決意したのだ。
そういう反エリーティズム的な観点からして、僕は『ソーダ・クラッカーズ』という詩が個人的に好きだ。ソーダ・クラッカーについての詩が書けるというのはなんて素晴らしいことだろうと作者は感じているし、僕も読者としてその気持ちに実に共感する。そういう詩に出会う機会というのは、僕らの人生においてとても少ないと思いませんか? たとえそれが『現代名詩選』に収録されるような詩ではないにしても。

自作について語られた文章はどれも興味深いものだ。とくに『書き直しについて』を読むと、カーヴァーが機会あるごとに何度も作品に加筆し、その結果としてひとつの作品に対して新しいヴァージョンが次々に生まれていった経過が理解できる。翻訳者としては「いったいどれを定本とすればいいんだよ」とそのたびに頭を悩ませることになるわけだが、同じ作家という立場からみれば、彼の「少しでもいい作品に仕上げたい」気持ちは痛いほどよくわかる。


実際にご自身でも同じような作業を多々されている春樹さん ならではの感慨でしょうね。

「私は自分の書きあげた短篇小説をいじくりまわすのが好きだ。できあがったあとの短篇に、ひととおり手を入れる。それからまた引っぱり出して、更にあっちこっちと手を入れる。最初の稿を書いているときより、そう言う書き直しをしているときの方が私は楽しい。小説の初稿を書くのは、私にとっては、そのあとでじっくりといじりまわして楽しむためにどうしてもやらなくてはならない苦行のようなものに思える。書き直しは私にとってはつまらない骨の折れる仕事ではない。むしろ楽しくて仕方ないことなのだ」

とカーヴァーは書いているが、これは僕にとってもまったく同じことで、本当にそのとおりだと同感する。世の中にいろんな楽しいことはあるが、いったん書き上げた作品を、「じゅくじゅく」と時間をかけて書き直すくらい楽しいことはそれほどたくさんない。僕もカーヴァーにならったというわけでもないのだけれど、いくつかの短篇に関して、同じような作業をおこなった。個人的な話で恐縮なのだが、『貧乏な叔母さんの話』と『めくらやなぎと眠る女』というふたつの初期に書いた短篇に関しては、あとでかなり大きく手を入れたし、この二作品に関しては、これからも更に手を入れていくかもしれないと考えている。


カーヴァーと――それに感化されたと思われる――春樹さんのような徹底したリライトの作業は、残念ながら(あるいは怠慢ながら)したことはありません。お二人の話を聞くと、どれだけ「磨く」という作業が大切かが分かります。自戒したいと思います。

レイモンド・カーヴァーの死後、最近になって判明したことだが、カーヴァーはかつて書いたいくつかの作品を辣腕編集者ゴードン・リッシュの指導のもと、ミニマリズム的に大幅に書き直した。徹底的に文章を簡略化し、余計な要素を片っ端から切り捨てた。説明を省き、ものごとのつながりの接点にやすりをかけてざらざらにした。中には「ずたずたに切り刻まれた」と言っても差し支えないようなものもある(もちろんそれなりの必然性がそこにはあったわけだが)。しかし彼はそれらの改編された作品群を、ゴードン・リッシュと袂をわかったあと、オリジナルに近いかたちに戻して書き直すことになる(もちろんオリジナルよりは洗練の度はたかまり、深みも増している)。彼が文中で「私はちょっとした板挟み状態になっ」ていたと語るのは、そのようなリッシュとのあいだの確執を意味しているわけだ。このあたりの詳しい経緯については、短い説明ではカバーしきれないので、拙著『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』(中央公論新社)のレイモンド・カーヴァーの項をお読みいただければと思う。



映画『ドストエフスキー』のシナリオについての文章もなかなか興味深い。作家と映画産業とのかかわり合いは、一般的に言ってあまり良い結果を生みださないことが多いが(ジョン・アーヴィングがアカデミー脚本賞をとったような幸福な例外はあるにせよ)、これもその一例だと言っていいかもしれない。テスはこの映画について一度僕に語ったことがある、「レイとチミノはもともと性格がちょっとあわなかったんじゃないかしら。チミノはハンティングが好きで、レイをよく誘った。レイは血を見るのが好きではなく、ある時点からハンティングをすることをやめていた。でもチミノは熱心に彼を誘っていた。そんな微妙な食い違いみたいなのがあり、そういうこともあって共同作業も結局うまくいかなかったんじゃないかしら」と。僕はたまたまこの映画のシナリオを入手しているが、たとえ映画が予定どおり完成していても、たぶん営業的なヒット作にはならなかっただろうという気がする。

つづきます。



   

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