デニム中毒者のたわごと

Literature

レイモンド・カーヴァーに学ぶ その14

 
今回はレイ・カーヴァー全集7『英雄を謳うまい』に収録された「自作を語る」篇の「『テスに』について」を紹介します。



まずはオリジナル原文です。

For Tess

Out on the Strait the water is whitecapping
as they say here. It's rough, and I'm glad
I'm not out there. Glad I fished all day
on Morse Creek, casting a red Daredevil back
and forth. I didn't catch anything. No bites
even, not one. But it was okay. It was fine!
I carried your dad's pocketknife and was followed
for a while by a dog its owner called "Dixie."
At times I felt so happy I had to quit
fishing. Once I lay on the bank with my eyes closed,
listening to the sound the water made,
and to the wind in the tops of the trees. The same wind
that blows out on the Strait, but a different wind, too.
For a while I even let myself imagine I had died -
and that was all right, at least for a couple
of minutes, until it really sank in: Dead.
As I was lying there with my eyes closed,
just after I'd imagined what it might be like
if in fact I never got up again, I thought of you.
I opened my eyes then and got right up
and went back to being happy again.
I'm grateful to you, you see. I wanted to tell you.


テスに

海峡の海面は、ここの人たちの言葉を借りれば
頭を白く染めている。荒れているのだ。そんな所に出て
行かないで良かった。モースクリークで1日釣りをして
良かった。真っ赤なディアディベルをあちこちキャスティング
しながらね。魚は1匹も釣れない。くいつきさえしなかった。
ただの1度もだよ。でもかまわない。そんなの何でもないさ!
僕は君のお父さんのポケットナイフを持ち
飼い主にディキシーと呼ばれている名前の犬をしばらくあとに従えていた。
ときどき僕はとても幸福で,魚釣りなんかやめちゃったくらいだ。
1度僕は隄に寝ころんで目を閉じ
水の音にじっと耳を澄ませていた。
そして樹上を過ぎて行く風の音に。海峡を流れているのと
同じ風なのだが、でもそれはちがう風でもある。
しばらくの間,僕は自分が死んでいるんだと想像してみた。
でもそれも悪くはなかった。少なくともちょっとのあいだならね。
それが本当になって体に染み込んでくるまではね。死んでいる。
そこに目を閉じて寝ころんで,本当に自分が実際に
もう2度と起き上がれなくなったらどんな感じなのかと
想像してみたすぐあとで,僕は君の事を考えた。
それから僕は目を開け,起き上がり
もういちど幸福であることのなかに戻って行った。
ねえ,僕は君にすごく感謝している。それを、言いたかったんだ。
(※ 詩の訳はハワイ在住の「あらら」さんによるものを拝借しました)

ある意味ではこの詩は、私の妻であり、詩人にして短篇小説作家であるテス・ギャラガーにあてられたラブレターみたいなものだ。この詩を書いたのは一九八四年三月のことだが、私はワシントン州ポート・エンジェルスの家に一人で暮らしていた。三月以前はニューヨーク州シラキュースにいた。私たちはだいたいシラキュースで生活し、テスは大学で教えている。しかし一九八三年九月に私の短篇小説集『大聖堂』が出版されて、その後しばらくけっこうな騒ぎが起こった。その騒ぎは翌年まで持ち越され、おかげで私はぺースが狂ってしまい、すんなりと自分の仕事に復帰することができなくなった。そしてこの文学界の騒動に加えて、私たちがシラキュースでごく日常的に送っている社交活動もあった。友人たちとの食事とか、映画やコンサートや、大学での小説や詩の朗読会とか。
多くの点において、たしかにそれは「ハイな」時期であり、幸福な時期であったわけだが、同時に苛々させられる時期でもあった。自分の仕事に戻ることがだんだんむずかしくなっていったからだ。私の抱えているそのようなフラストレーションを見て、ポート・エンジェルスにある私たちの家に一人で戻ってはどうかともちかれてくれたのはテスだった。そこに戻れば、一人で心静かに平和のうちに暮らせるし、そうすることによってまた新しい仕事に入っていけるのではないかと。それで私は西に向かった。家に戻ったら新しいフィクションを書き始めることができるだろうと思って。しかし我が家に落ち着いてしばらくすると、自分でも驚いたことに、私は詩を書き始めた(「驚いた」と言うのは、私はもう二年以上も詩を書いていなかったし、もう二度と書くことはないのではないかとさえ考えていたからだ)。
『テスに』は正確に言えば「自伝的な」詩ではない。私はもう何年も前から、釣りのときに赤いデアデヴィルのルアーを使っていなかったし、テスのお父さんのポケットナイフを持ち歩いてもいなかった。またその詩に書かれているとおぼしき日には、私は実際には釣りに行かなかった。また「ディキシー」という名前の犬が「しばらくのあいだついてきた」ということもなかった。しかしこの詩に書かれているものごとはすべて過去において、ばらばらにではあるが実際に起こったことであり、私はそれらを記憶に留めていた。そして私はそれらのディテイルを詩の中に書き込んだ。しかし――これが大切なことなのだが――その詩の中に込められた心情やセンティメント〈情趣〉は一行一行すべて真実のものだ(どうかセンティメントとセンティメンタリー〈感傷性〉を混同しないでいただきたい)。そしてそれは的確でクリアな言語によって表されている。なおかつ、この詩のディテイルは生き生きとして、具体的だ。そして物語性やストーリーテリングという観点から見る限りにおいては、この詩はまっすぐなものであり、説得力を有していると私は思う(私はレトリックや、実体を欠いた抽象的、似非詩的言語を用いることで成立しているような詩にはどうにも我慢できない。私は文学において抽象的なものやレトリカルなものを避ける傾向があるし、実人生においてもそれは同じだ)。
『テスに』という詩はささやかな物語を語っているし、あるひとつの瞬間を捉えている。詩はただ自己表現行為というだけではないのだと、記憶していただきたい。詩にせよ短篇小説にせよ――およそ芸術という名で呼ばれることを自負する文学的営みであれば――それはすなわち作家と読者とのあいだに気持ちを通じ合わせるための行為なのだ。自己表現なら誰にでもできる。しかし作家なり詩人が、作品を通して為しとげたいと望むのは、ただ単に自分を表現することではなく、気持ちを伝えることなのだ。そうですね? やらなくてはいけないのは常にひとつ。自分の思いや、自分がもっとも深く心を傾けていることを、読者にも同じように理解し経験してもらえるような言語に――その形式がフィクションであれ詩であれ――置きかえていくことなのだ。そもそもの思いとはちょっとずれた理解や心情が、読者から作品に対して寄せられることは常にある。それは避けがたいことであるし、むしろ歓迎すべきことでさえある。しかしもしその作家が本当に送り届けたかった主要な積み荷が、配送所の倉庫に置き去りにされてしまったとしたら、その作品は、私の観点からすればということだが、大きく失敗したことになる。「理解されること」、それはすべての優れた作家が最初に念頭に置く設定であり、究極に定めるゴールでもある。
最後にひとこと言い添えたい。私は具体的ないくつかのディテイルを進行させることによって、ある具体的な瞬間を捉えてとどめようとした――つまり永久的なものにしようとした――だけではない。その詩を書いている途中で私は、自分が今書いているのは、愛の詩(ラブポエム)にほかならない(私はこれまでラブポエムというものをほんの少ししか書いたことがないが、そのうちのひとつだ)ことに気がついた。というのは、私はその詩をテスに――私が十年間にわたって生活をともにした女性に――「あてて」書いただけではなく、彼女に対してポート・エンジェルスにおける私の生活の「ニュース」を届けようとしただけではなく――私はここでエズラ・バウンドの「文学とはいつまでもニュースであり続けるニュースのことだ」という言葉を思い出すわけだが――同時に私はこの機を利用して、彼女に伝えたかったのだ。一九七七年に彼女が私の人生に入りこんできてくれて、私がどんなに感謝しているかということを。彼女によってものすごく大きな違いがもたらされたし、彼女の助力によって、私の人生は深い意味あいで変化を遂げたのだ。
それは私がこの詩の中で「言いたかった」ことのひとつである。もしそれが彼女の心を打ったとしたら、そしてそうすることを通して、ほかの読者の心をも打ったとしたら――つまり私がこの詩を書いているときに真実感じていた心情の一部なりとも送ることができたとしたら――これにまさる喜びはない。


カーヴァーがテス・ギャラガーと交際を始めたのは前妻と別れて一年後のことでした(そう、前妻との努力も実らず結局別れることになったんです)。でも、この一文で吐露しているように、テスと一緒になったことはカーヴァーにとって僥倖だったと言えます。

英国のBBC放送が、カーヴァー没後二年に制作したドキュメンタリー番組『Dreams Are What You Wake Up From(夢とは覚めるもの)』をUPしましょう。



カーヴァーにとって最大の理解者であり、最高のパートナーでもあったテス・ギャラガーの動画も紹介しときましょうか……。

こんな女性です。



つづきます。



   

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