デニム中毒者のたわごと

Literature

レイモンド・カーヴァーに学ぶ その13

 
前回の続きです。

永遠に

煙のとばりに包まれた戸外をぶらぶらと歩き、
蝸牛の足跡のついた小径をたどり
庭を抜けて庭の石壁の方に行ってみる。
やっと一人になって僕はそこにしゃがみこむ。さて

なすべきことは何か、と。そして突然僕は
濡れた石に体をぴたっとはりつける。
僕はゆっくりとまわりを見まわして
そして耳をそばだてる。体をそっくり

そのまま使って。蝸牛がやっているみたいに。
力は抜くけど、気は抜かず、という具合に。
こりゃ凄いや! 今夜は僕の人生の
一大転換点。今夜を境として

もうもとの人生になんか
戻れるもんか。僕はじっと星を見つめ、
星たちに向かって触覚を
振ってみる。何時間も何時間も

僕はそこにただじっとはりついている。
もっと時間が過ぎてから、哀しみが
細かい水滴となって僕の
心臓のまわりにくっつき始める。
父が死んでしまったことや

僕がこの町を間もなく出ていこうと
していることを思い出す。永遠にだ。
これでお前ともさよならだな、と父は言う。
夜明け近くに、僕は壁から降りてきて

ぶらぶらと家に戻る。
みんなはまだ待っているのだが、
初めて僕の新しい目を認めたときに
彼らの顔にさっと恐怖の色が走る。


『永遠に』はちょっと違う。私はこの詩を一九七〇年のクリスマスの少し前に、パロアルトのガレージにつくった仕事場で書いた。これは納得のいく出来になるまでに、五十回か六十回も書き直さなくてはならなかった。最初にこれを書いたとき、外が激しい雨だったことを覚えている。私は当時ガレージに仕事用のテーブルを置いていて、ガレージの小さな窓から見える母屋にときおり目をやった。夜中の遅い時刻だった。家の中にいるみんなはもう眠っていた。雨は、私が意識の中で接近していったその「永遠」の一部に組み込まれているように思えた。


仕事を探そう

僕はいつも朝飯に
川鱒を食べたいと思っていた。

突然、滝まで行く新しい小径を
僕はみつける。

僕は急いで歩き始める。
起きなさいよ、

と女房が言う。
あなた寝ぼけてるのよ。

でも僕が起き上がろうとすると、
家が傾く。

寝ぼけてなんかいるもんか。
もうお昼よ、と女房が言う。

僕の新品の靴が戸口に置いてある。
ぴかぴかに光っている。



『仕事を探そう』はその翌年の八月、サクラメントのアパートメント・ハウスで、午後に書かれた。それは紛糾と困難に満ちた夏だった。子供たちと妻は公園に行っていた。温度は摂氏三十八度に近くなっていた。私は裸足で、水泳用トランクスを穿いていた。タイルの床の上を歩くと、足跡がついた。


ウェス・ハーディン、一枚の写真から

古い写真を集めた本を
    ぱらぱらとめくっていたら
一枚の無法者の写真があった
    ウェス・ハーディン、死んでいる
口髭をはやした、大きな男で
    黒いスーツコートを着ている
テキサス州アマリロの
    板張りの床に大の字。
頭は写真機に向けられ
    顔には
傷がついているみたいだし、髪は
    くしゃくしゃ
弾丸が後ろから頭に
    入ってきて
右目の上あたりに小さな
    穴を開けて出ていった。

面白いことなんて何もないはずなのに
    数フィート離れたところに立っている
つなぎ服を着た三人のみすぼらしい男たちは
    にやにや笑っている。
みんなライフルを持っていて
    端っこにいる奴は
無法者のものとおぼしき帽子を
    かぶっている。
その他の何発かの弾丸が
    あちこちに命中している。
死んだ男の着ている
    ――というか着ていた
上等そうな白いシャツの下に。
    でも僕がそんなに熱心に見ている理由は
そのすらりとした華奢な
    右手にぽっかりと開いた黒くて
                      大きな弾痕。


『ウェス・ハーディン』もやはりサクラメントで書かれたが、それは数ヵ月後の十月のことで、住んでいたのはべつの家だった。その家はこともあろうに「ルナ・レーン」(訳註・月の小路)という名前の袋小路に建っていた。時刻は朝早く、たぶん八時くらいだった。妻は子供たちを学校に送り届け、そのまま仕事場に行くために家を出ていったところだった。私はその日いちにち自由だった。好きなだけものを書けるまたとない機会だった。それなのに私は、郵送されてきた西部の無法者についての本を手にとって読み出してしまった。そしてジョン・ウェズリー・ハーディンの写真が出てきたところで、読むのをやめた。少しあとに私は、その詩のおおまかな形を書き上げた。


結婚

自分のキャビンの中で、僕らは牡蠣フライと揚げポテトを食べ、
デザートにレモン・クッキーを食べる。テレビではキティーとレヴィンが
結婚へと進展する模様。丘の上方のトレイラーの男、我らが隣人は
何度かの刑務所のおつとめを終えたばかり。
彼は今朝細君と二人ででかい黄色の車に乗り、
ラジオをがんがんかけながら庭にやってきた。
車を停めると細君がラジオを消し、
それから二人でゆっくりと自分たちのトレイラーまで
歩いていった。ひとことも口をきかずに。
早朝のことで、小鳥たちも起きて囀っていた。
しばらくして男が椅子をはさんでドアを開け放ち
春の空気と光を中に入れた。
今は復活祭の日曜日の夜、
そしてキティーとレヴィンはついに結婚した。
思わず涙ぐんでしまうほどだ。その結婚や
そのまわりの様々なる人生。僕らは相変わらず
牡蠣を食べながら、テレビを見ている。
登場人物の見事な服やら息をのむ上品さについて
語り合いながら。あるものは
不倫の重圧やら愛するものとの別離に
苦しんでいるし、次に用意されている
むごい運命の変転のあとに破滅が訪れることを
彼らは承知のはず。
次々にやってくる運命の
   変転。
犬が吠える。僕は立ってドアの鍵を確かめる。
カーテンの向こうにトレイラーの列と
ぬかるんだ駐車場が見える。観ている間に
月は西へと滑るがごとく移り、完全武装して、
僕の子供たちを捜し求めている。我らが隣人は
一杯機嫌ででかい車に乗りこみ、エンジンをぶるんぶるんと
空吹かしさせて、またどこかに出かける。いかにも
自信たっぷりに。ラジオはがんがんと
景気のいい音楽。彼らが行ってしまうと、あとには
いくつかの小さな銀色のたまり水が震えているだけ。
どうして自分たちがこんなところにいるのか
全然わからないまま。


『結婚』はこのグループの中ではいちばん最近に書かれたものだ。一九七八年にアイオワ・シティーの二間のアパートメントで書いた。その何ヵ月か前に私たち夫婦は別居をしていたのだが、試験的にまた一緒に暮らしてみようということになった。結局のところそれはとても短い期間で終わることになるのだが、とにかく私たちは夫婦としてうまくよりが戻らないものか、もう一度試していたわけだ。子供たちはもう大きくなっていて、カリフォルニアのどこかにいて、それぞれ自活していた。しかし私は子供たちのことが心配でならなかった。私はまた自分自身のことや、妻のことや、二十数年に及んだ私たちの結婚生活(私たちはそれをなんとか救うための最後の努力をしていた)のことが心配でならなかった。私はあらゆる種類の不安を抱えて日々を送っていた。私はこの詩を夜に書いた。妻は一室にいて、私は別の部屋にいた。私が味わっていた恐怖は、行き場所を見つけたのだ。
和解は結局うまくいかなかったわけだが、それはまたべつの話だ。


つづきます。



   

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)