デニム中毒者のたわごと

Literature

レイモンド・カーヴァーに学ぶ その10

 
前回の続きです。

子育てに掛かりきりになったその苛烈な何年かのあいだ、私はそれが何であれ、まとまった長さを持つものに関われるような時間や気持ちを持つことがほとんどできなかった。そのような私の人生の環境が、D・H・ローレンスに言わせるなら、その「苦役と骨折り」が、それを許さなかったのだ。子供たちを抱えた私の人生の環境はもっとべつのものを指示していた。もし私が何かを書きたいなら、それを書き上げて、その書き上げたものに満足を覚えたいと思うなら、詩と短篇にしがみついていなくてはならない、とそれは告げていた。短いものなら、運さえ良ければ、私は机に座ってさっさと素早く書いて仕上げてしまうこともできた。まだずっと初期のころに、アイオワ・シティーに来るよりも前のことだが、何かに心おきなく神経を集中することが許されないようなこの情況にあって、自分が長篇小説を書くのは困難であるだろうということを私は悟った。そのころのことを今振り返ってみると、私はそのような飢えた年月を通じて、欲求不満のために徐々に正気をなくしつつあったように思う。いずれにせよ、私の書くものがどのような形態を取るかということは、そのようなまわりの情況によって徹頭徹尾勝手に決定されていたわけだ。いや、誤解しないでほしい。私は何も不平を言っているわけではないのだ。沈鬱な、そしていまだに困惑している心の中からいくつかの事実を取り出して見せているだけなのだ。
たとえもし私に考えをまとめることができて、エネルギーを、たとえば、長篇小説に集中することができていたとしても、私にはその報酬の受け取りを何年も先まで――それももし報酬なんていうものがあると仮定しての話だ――じっと待っていられるような余裕はなかった。私にはとてもそんな先のことまで考えられなかった。私は腰を下ろして、今すぐに、今夜かあるいは遅くとも明日の夜までには、終えてしまえるものを書かなくてはならなかった。それより遅くなっては駄目だ。仕事から戻ってきたあとに、そして私が興味を失ってしまう前に、私はそれを書いてしまわなくてはならない。その当時の私は次から次へと半端な仕事をこなしていた。妻の方も同じようなものだった。ウェイトレスをやるか、あるいは戸別セールスの仕事をするかだった。何年かたってから、彼女はハイスクールで教えるようになった。しかしそれはもっとずっとあとのことである。私は製材所で働いたり、用務員のようなことをやったり、配達をやったり、ガソリン・スタンドで働いたり、倉庫番をやったりした。とにかく文字通りなんだってやった。ある夏には、カリフォルニアのアーケイタでのことだが、生活のために私は昼間にはなんとチューリップ摘みまでやった。そして夜になると、閉店後のドライブ・イン食堂の店内掃除をやり、パーキング・ロットを掃いた。一度など、ほんの一瞬のことではあるが、私は借金取り立ての仕事を――私の目の前にその仕事の申し込み書が置いてあったのだ――やろうかとさえ思ったくらいだ。
その当時は、仕事の時間と家族の世話を終えたあと、自分のための時間を一日に一時間か二時間でも絞り出せればもうそれで上出来だと思ったくらいだった。それは天国のようなものだった。それくらい時間が取れただけで、私は幸せそのものだった。でもときには、いろんな事情で、そんな時間さえ取れないことがあった。そんなときには土曜日をあてにしたものだ。でもときにはまた何かが起こって、土曜日さえもが潰れてしまうのだ。しかし日曜日だってあるじゃないか。日曜日には、たぶん。
そんな日課で(言い換えれば、日課というものの完全な不在の中で)長篇小説を書くなんて、私にとっては考慮の他というしかなかった。長篇小説を書くためには、作家はもっと筋の通った世界に住んでいなくちゃならないはずだと私は思った。作家がその信を置くことができて、しっかりと狙いを定めることができて、そしてきっちり正確にそれについて何かを書くことができるような世界に。ひとつの場所に、少なくともとりあえずしばらくはということだが。腰を据えて留まるであろう世界だ。それとともに、世界には基本的な正しさがあるという信念がなくてはならない。この世界はこうして存在するだけの理由を有し、またそれについて書くだけの価値のあるものであり、書いている途中でぽっと消えてしまったりはしないものだという信念である。しかしたまたま私の知っていた世界は、私の住んでいた世界は、そういう世界ではなかった。私の世界は、毎日のようにキヤを変え、方向を変え、そのルールをも変えている世界だった。再々にわたって、来月の初日より先のことは予測もつかないし、計画も立たないという事態にいたることがあった。それまでに私は家賃を払い、子供たちに学校に着ていく服を与えるための金をなんとかかんとかひっかき集めてこなくてはならなかったのだ。これは真実だ。
自分の払ったいわゆる「文学的努力」のすべてに対して、私は目で見える結果を求めた。後払いやら約束やら、あるいは支払い保証書なんてものは願い下げだった。そんなわけで、私は意識的に、また必要に迫られて、一回、あるいはせいぜい二回、机に向かっただけで書き上げられるとわかっているものだけを書くようにした。ここで話しているのは、第一稿のことだ。私は書き直しについては、常に我慢強い人間でありつづけてきた。でもその当時はとくに、私は書き直しをするのが楽しみでならなかった。時間はとられたが、ちっとも苦痛ではなかった。言うなれば、私は今自分が抱えている短篇なり詩なりを、一刻も早く仕上げてしまいたいという風には思わなかったのだ。それを仕上げてしまったら、また何か別なものにかかるための新たな時間を、そして新たな信念を、とこかから見つけだしてこなくてはならなかったからだ。そんなわけで、私はざっと書き上げた作品をじつに我慢強く書き直した。私は自分の作品を、嫌になるくらい長いあいだ自分の手元に置いて、いじくりまわし、こっちを書き直し、あっちを付け加え、はたまた削りとった。
このようないきあたりばったりな書き方を、私は二十年近くにわたってえんえんと続けてきた。もちろんそこには楽しい日々だってあった。子供の親になったものにしか味わうことのできない、成人としてのある種の喜びと満足感である。でももう一度あれを繰り返さなくてはならないとしたら、私はむしろ毒を仰ぐ報を選ぶだろう。
私の生活環境は今ではすっかり変わってしまった。今では私は、短篇小説と詩を書くということを自分の意思で選んでいる。あるいは、そうしていると自分では思っている。あるいは、それらはすべて昔の習慣が生んだ結果であるのかもしれない。あるいはそれは、好きなだけ自由に時間を使えて、なんだって好きなことができる! という発想に私のからだがまだ馴染んでいないというだけのことなのかもしれない。私にはもう、自分の尻の下からいつなんどき椅子を持っていかれるかもしれないという心配はないし、子供たちの一人が「お腹がすいたよ、まだ夕食の支度はできてないの」というような不満の声を上げる心配もないのだ。それでも、私はそのような日々から、いくつかの教訓を学んだ。そのひとつは、「折れるよりはたわめ」ということだ。そしてまた私は学んだ。たわんでいるのに折れるということだってあるのだということを。


今回のエッセイはこれで終わりです。

つづきます。



   

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)