デニム中毒者のたわごと

Literature

レイモンド・カーヴァーに学ぶ その3

 
今回は1983年に行われたインタビュー記事を紹介しましょう。インタビュアーはモナ・シンプソンとルイス・バスビーです。

――あなたは、どういう子供時代を送り、どのようにして、ものを書こうと志したのですか?

子供時代を送ったのはワシントン州東部のヤキマという小さな町でね、父親はそこの製材所に勤めていた。のこぎりの目立て専門で、材木を切断したり、平らにしたりするためのこぎりの刃を調整するのが仕事だった。母親は商店の店員をしたり、ウェイトレスをしたり、そうじゃなければただ家にいた。いずれにせよ、ひとつの仕事を長く続けたことはなかったね。彼女の「神経」についての話合いがあったことを記憶しているよ。台所の流し台の下のキャビネットには、「神経薬」と書かれた瓶が置いてあって、毎朝母はそれを茶さじ二杯ずつ飲んでいた。
父親にとっての神経薬はウイスキーだったな。だいたいいつも流し台の下の同じキャビネットに、ウイスキーの瓶を置いてあった。あるいは外の薪小屋の中にね。一度それをこっそり味見して、ひどい味だと思ったことを覚えているよ。誰がこんなものを好きこのんで飲むのだろうと不思議に思ったね。
住んでいたのは二ベッドルームの小さな家だったよ。覚えているいちばん最初の家はヤキマの催事グラウンドの近くにあって、便所は外便所だった。1940年代の後半のことで、私は八歳か十歳かそんなものだった。父親が仕事から帰ってくるのを、よくバス停で待っていたものだ。だいたいいつも時間通りぴったりに帰ってきたけど、二週間に一度くらい、そのバスに父の姿がないことがあった。私はそのままバス停で次のバスを待った。でもそのバスにも乗っていないだろうということは、わかっていたんだ。それはつまり、製材所の仲間たちとどっかで飲んだくれているということだからね。母と私と弟が夕食の席についているときに、その場にたれ込めていたどうしようもなく重苦しい雰囲気を、今でもありありと思い出すことができる。

――でもどうしてものを書きたいと思ったのですか?

理由というほどのものもないんだけど、ただ、父はよく自分が子供だった頃の話を私にしてくれたな。彼の父親とか、祖父とかの話もね。彼の祖父は南北戦争で戦ったんだ、それも両方の側で戦ったんだよ! 祖父は変節者だった。南軍側の戦況が不利になってくると、北部に移って、連邦軍に参加して戦ったわけさ。父はその話を笑いながらしてくれた。
それが間違ったことだとはぜんぜん思わなかったな。でもとにかく、父はよく話をしてくれた。逸話に近いもので、教訓みたいなものはなかった。森の中をほっつき歩く話とか、鉄道監視員に気をつけながら列車のただ乗りをした話だとか。私は父親のそばにくっついて、いろんな話を聞かせてもらうのが大好きだった。

――あなたが小説を書いているときに、どんなことが起るのか教えて下さい。

私は初稿をさっさと素早く書いてしまう。だいたい肉筆で書く。ただただできるだけ早く、ページを埋めていくんだ。ある場合には、自分にしかわからない速記みたいな字で書くこともある。あとで読み直してみて、意味が通じればそれでいい、みたいな感じでね。ある種のシーンは未完成のまま放っておかなくてはならない。まったく手をつけない場合もある。じっくりと書き込まないとだめ、というようなシーンはね。もちろんどんなシーンだって、じっくり書き込まないとだめなわけだけど、いくつかのシーンの書き込みは第二稿か三稿の段階までとっておく。
というのは、そういうシーンに正面から細かくかかわっていると、それに時間がかかって、初稿を書くスピードが落ちてしまうからだ。初稿で大事なのはアウトラインをはっきりさせること、物語の足場を打ち立てることなんだ。細かいことは書き直しの段階で埋めていけばいいんだ。手書きの原稿を書き上げてしまうと、それをタイプする。そこから物ごとが始まる。
タイプされた原稿は常に、私の目には、手書きのものとはずいぶん感じが違って見える。もちろんよりよく見える。初稿をタイプ原稿にしてしまうと、書き直しにかかる。あっちに付け加えたり、こっちを削ったりだね。三回か四回くらい稿を重ねて、そこからいよいよ本格的な仕事が始まる。それは詩の場合も同じだ


――あなたの書き方は変わりましたか?

短篇集『愛について語るときに我々の語ること』の書き方は、前とはある程度変わっていると思うね。ひとつには、意識的な部分が前よりもずっと多くなっている。つまり、物語の動きがいくぶん意図的になり、計算されたものになっているということだ。それらの作品を本に収録する前に、ずいぶん手を入れ、いじりまわし、調整した。そういうのは以前になかったことだ。
『大聖堂』は、着想においても、手法においても、私がそれまでに書いた短篇小説とはまったく違うものになっていると思う。書き方が変わったということはあるけれど、そこには私の人生の変化も反映されていると思うんだ。『大聖堂』を書いているとき、強い昂揚のようなものを感じた。「これなんだ。これこそが我々がものを書いていることの意味なんだ」私はそう思った。
それは、以前に書いた小説とは異なった種類のものだった。その短篇を書いたとき、前が大きく開けたような感覚があった。それまで私は、自分にできうる限り、あるいは自分が望むかぎり、それとは逆の方向に進んでいた。何もかもを骨まで切りつめるというか、それでもまだ足りずに、骨の髄まで切りつめるという感じの書き方をしていた。


―影響を受けた文学について少し語ってもらえますか?

アーネスト・ヘミングウェイはその一人だ。彼の初期の短篇はいいね。『大きな二つの心臓の川』『三日吹く風』『雨の中の猫』『兵士の家』、その他たくさん。



チェーホフ。彼は私がもっとも敬愛している作家だ。ただし戯曲は私にはテンポがのろすぎるように感じられる。
トルストイ。彼の短篇、中篇小説、そして『アンナ・カレーニナ』。『戦争と平和』は苦手だ。テンポがスローすぎる。でも『イヴァン・イリッチの死』『主人と下男』『人はどれだけ土地が要るか』はいいな。トルストイは最高だよ。










イサーク・バーベリ、フラナリー・オコナー、フランク・オコナー、ジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』。ジョン・チーヴァー、『ボヴァリー夫人』。コンラッド。アプダイクの『メイプル夫妻の物語』。トバイアス・ウルフの短篇小説集『北アメリカの殉教者たちの庭にて』は実に素晴らしい本だ。マックス・ショット、ボビー・アン・メイスン。ハロルド・ピンター、V・S・ブリチェット。













つづきます。



   

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