デニム中毒者のたわごと

Literature

リチャード・ブローティガンを読む その12

 
今回は詩人で翻訳家でもいらっしゃる白石かずこ さんの文章で、二人のリチャード・ブローティガン>――ブローティガン『突然訪れた天使の日』『ロンメル進軍』」を紹介します。





リチャード・ブローティガンの詩集、中上哲夫訳の『突然訪れた天使の日』のあとにあまり時間をおかず高橋源一郎訳『ロンメル進軍』がでた。
さあ、地下に眠る、あるいは天国で呆けているリチャード・ブローティガンはパッと眼があいてオヤ、オヤ、と嬉しい驚きの嘆息をあげてるにちがいない。ちょっと早まったぞ。うっかり、あの時、あの頃、死んで死んでしまったけど。気がめいり、死ぬほどではなかったのにと。
正直のところご本人ブローティガンでなく一読者であるわたしも当惑している。
よくもこう対称的な、まさに躁と鬱の両極のような詩集が出たと。
モチロン、最初に出た中上哲夫訳のリチャード・ブローティガン詩集『突然訪れた天使の日』をわたしは、なまみのブローティガンに出逢う思いでよんだ。中上哲夫は今までいくつもの翻訳をしているが、これほど彼にぴったりの文体、呼吸、まあいをもつ詩人は、いなかったのではないかと、途中わたしはときどきブローティガンをよみながら、彼自身が訳したのではないかと思うほど彼のたよりなく、ぼうようと、小意地悪で小心で皮肉でチャーミングな性格がホロホロとでているのに感動したと同時に同じ頃でた中上哲夫自身の詩集『スウェーデン美人の金髪はなぜ緑色になったか』をもう一度よみ返し、おや、わたしはブローティガンのつづきをよんでるわけじゃないのヨと思うほどリズム、呼吸の類似をみてあの太って大きな熊男のアメリカ人のブローティガンとシャイな魚釣りの好きなヘンクツ小父さんと万年青年同居の日本人中上哲夫を思いくらべ、たびたび溜息をついた。




一心同体とは気持ちの悪いコトバだけど、この類似はなにだろう。中上哲夫が自分の中にブローティガン的資質を発見して近づきブローティガンのエキスを抜きとって変身の術を行ったか。
とにかく頭がクラクラしているうちに、ああ、なんと元気よくロンメル将軍が歩いてくるではないか、高橋源一郎ラッパをたかだかと吹き、一、二、一、二、オモチャの兵隊の靴音まで可愛くきこえてきそうな表紙からザ、ザッとまるで超元気、超調子よく、躁鬱の躁病になったと思うほどゴキゲンで早口でブローティガンの日本語訳が現れた。あれ、あれ、これはちがうョ、ブローティガンではないョ、こんな詩じゃなかったといいかけて、待ったとわたしの内側に声をかけた。
お天気屋のブローティガンの、これは躁状態の詩だ、するとこれもブローティガンにまちがいないし、丁寧にこちらはオリジナルな英語の詩がのっているのでどう訳されたか、いちいち比較することができる。
すると、なんという名、迷、訳というよりこれは脚色だとわたしは解釈する。
だいぶ前だがわたしはボストンでハーバード大を最初に卒業した黒人のブラザー・ブルーに逢った。数十年前はハーバードに行った黒人はブラザー・ブルー一人だった。この彼は詩人でもパフォーマーでもあり、街頭でシェクスピア劇を演じていた。彼の云うには「シェクスピアの時代の古語をきいてわかるのは少数のインテリだけだ。わたしは知識という歯のない人でもガム(歯ぐき)でかみくだいて食べられるように、これを現代の話しコトバにシェクスピア劇をやさしく変えて楽しめるようにした」といっていた。




高橋源一郎の訳をみて思ったのはブラザー・ブルーの事である。随分、思い切った訳というより脚色といいたいほど高橋源一郎寄りなのだ。ギャグが好きで頭の回転がはやくてユーモア、ジョーク、気のきいたウイッティなコトバが三度の飯より好きな感じに訳されて、日本語はもはや翻訳でなく完全に自信をもって日本語になってる。
ブローティガンもいつのまにかあの熊のような体重を減らして、いつどこでトレーニングしたのだろう、歩き方までノロノロでなくスキップしてるではないか。これはブローティガンじゃないよ、ブローティガンは生きてたら怒るんじゃない? と最初、オヤッと思ったが次に憂いをもって眠たげな眼をパチパチさせ、「うん、勝手にするがいいよ、裏切れ、裏切れ、詩のコトバの兵隊たちが日本語になってまでどうマーチしようがこっちの知ったことじゃないヨ」といいながら、けっこう興味を示すのではあるまいか、と。源一郎の日本語訳詩をよみながらブローティガンは、しだいに沈黙する。そして俺は、いったい、なんであの時、死んだんだろう、死ぬことなどなかったじゃないか、あの時はそりゃ、気が滅入っていたけど。一種の精神病だったが。と分析する。
わたしにしても残念である。今頃、生きていて同時にできた躁と鬱との二人の超極端な日本語訳ブローティガン詩集をみることで、彼は自分の可能性や生きる活路に、少々、興味をもつことができたにちがいない。
結論として中上哲夫は最適のブローティガン訳、ブローティガンらしい名訳であり、源一郎氏のは彼(ブローティガン)の内蔵する可能性に光をあて拡大した訳という功績をもつ。

 *
リチャード・ブローティガンは淋しい鯨だった。自殺する数ヵ月前の事。いつものように東京にくると電話してきた。今、新宿の京王プラザの何階からだョ。わたしはひっそりとお酒飲んでハシゴする彼のロンリネスと交(つき)あうほど親切ではなかった。だがお誕生日のパーティーなら一対一じゃないから疲れない、そこで2月27日にうちにくるように誘った。車でグルグル道に迷ってやっとみつけたといい現れたのは真夜中だ。リチャードとしか皆には紹介しなかった。彼は甘えっ子のわがままな熊になりプライベイトな時間を楽しみたいのだと思ったからソッとしてあげた。夜ふけてせまい部屋に斜めに横たわる彼は岸にあげられた鯨のようだった。ぐうぐう眠り始めたがМ子ちゃんの膝枕でときどきロンリーといいながら甘えていた。彼の孤独はアメリカの孤独だ。ロバート・ブライも同じ事をいっていたが、成功したアメリカの作家が年とって出逢う症状、死に至る病状だ。

最後に白石さんが語ったエピソードが沁みます。いかにも彼らしいエピソードに胸が痛みます。

つづきます。



   

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