デニム中毒者のたわごと

Literature

リチャード・ブローティガンを読む その9

 
今回は青山南さんの寄稿で「酔っぱらいの太った若者」を紹介します。

1.

生身のブローティガンには二回会ったことがあるが、そのころのかれはトーキョーによくやってきては酒場で酔っぱらっている酔っぱらいだったから、へえ、ブローティガンに会ったの、とひとからうらやましがられるようなこともなくて、あるニッポン人の酔っぱらいの文芸批評家には、ああ、あの酔っぱらいね、と軽くかたづけられてしまった。あいつがくると、京王プラザのフロントはいやな顔をするんだって。なにしろ、宿代がどっさりたまっているらしいんでね。アハハ、とぼくは笑った。そんな借金、踏み倒してしまえばいい。

2

よく覚えているのは、やけにふくらんだかれのおなかだ。長身で、ぜんたいはわりあいすらりとしたかんじなのに、おなかだけが、はれものみたいに、ぷくりとふくらんでいた。促成栽培的に、ふくらんでいた。じわじわとふくらんできた、というのではない、みるみるふくらんできた、というかんじ。

3.

トーキョーでよく酔っぱらうようになってから書いた本に『東京モンタナ急行』というのがあって、これはみごとな駄本なのだが、これは駄本かもしれないとブローティガンもうすうすかんじていたのだろう、そのなかでおもしろいことをいっている。
「わたしのなれの果てとは、かくのごときものになるのであろうか? 二十一世紀の街頭で見も知らぬ者たちを呼びとめ、無理に話に引き込んでは、ほとんど判読もできないような紙切れを見せる老人に?」
詩のようなもの、断章のようなもの、ばかり書いていたのだから、これはなかなかもっともな不安なのではあったのだが、しかし、そうはならなかった。というか、そうなる前に、ブローティガンは自殺してしまった。
ブローティガンの死体は、モンタナの山のなかの小屋で、発見された。鉄砲がころがっていて、死後数日がたっていた。好きなヘミングウェイの真似をしたのだ、といわれたが、そういわれたのは、遺書でものこっていたからだったか。

4.

いま、『西瓜糖の日々』を読みなおそうかとおもって本をひらいたら、冒頭の一節にこんな文章があって、ハッとした。「わたしはアイデス〔iDEAS〕のすぐ近くの小屋に住んでいる。窓の外にアイデスが見える、とても美しい。目を閉じてもアイデスは見えるし、手で触れることだってできる。いまそれは、冷たく、子供の掌に握られたなにかのように回転する。そのなにかがなにであるか、わたしにはわからない」
これって、まるで、〈死んだブローティガン〉がモンタナの山のなかの小屋で書きつづった文章のようではないか。〈死んだブローティガン〉は、いま、西瓜糖の世界でぬくぬくと生きている。

5.

動きはないし、動きだすような気配もない。ぜんたいにしんとしている。しかし、光はそしている。寒くはない。暑くもない。まあ、あたたかい、といったところか。だが、ものが腐ることはない。腐るために必要な湿気はない。だから、においもない。いやなにおいも、いいにおいもない……『アメリカの鱒釣り』を初めて読んだときは、そのあまりの静けさに気が抜けたものだ。この静けさ、この動きなさはいったいなんなんだろう、と。でも、いま、わかった。あれは、死後の世界を書いていたのだ。ああいう死後の世界がかれの考える理想の死後の世界なのだった。
考えてみれば、『愛のゆくえ』(原題は『堕胎、一九六六年の歴史ロマンス』)という小説だって、死体安置所が舞台のような話だった。あの図書館にはみんながじぶんで書いた本をもってきたのであって、だれも読みゃしなかったのだから。

6.

「死んでるときは、そうねえ……よく分かんないけど、だれも読まないほんのなかにでもいるようなかんじかな」
「本?」とわたし。
「古い本。図書館の棚にあって、そりゃもう安全そのものだけど、ほんとに長いこと借り出されてないの」
……

ティム・オブライエンは、「死者を生かす物語」という、死体との愛の話のなかで、死者にそういわせている。

7.

ブローティガンは、作品を書きながら、アイデス〔iDEAS〕を楽しんでいたのだ。〔わたし・死〕でもあれば「理想の死」でもあるアイデス〔iDEAS〕。
「二十一世紀の街頭で見も知らぬ者たちを呼びとめ、無理に話に引き込んでは、ほとんど判読もできないような紙切れを見せる老人」になどぜったいなりたくなかったにちがいない。

8.

ほんとうに、まったく、なんとも、いやはや、若い、若い。

(原稿を渡した後、編集部から、あの、ブローティガンはボリナスで死んだみたいですが、といわれた。おっととと。ボリナスって、たぶん、カリフォルニアだね。でも、いいんじゃないすか。そう勘違いしてたわけなんだから。ぼくのばあい、〈死んだブローティガン〉は、やっぱり、モンタナの山のなかの小屋にいてくれなくては困るんだ)


以前にも書いたと思うけど、『愛のゆくえ』の図書館のくだりなんて、初期の村上春樹さんが、どれだけブローティガンに影響されていたか分かるよね?

つづきます。



   

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