デニム中毒者のたわごと

Literature

リチャード・ブローティガンを読む その4

 
千石英世さんの「アメリカの柔らかな夢」という文章を紹介します。

アメリカの夢には二面性がある。アメリカには、ハードなアメリカとソフトなアメリカがあるということだ。マッチョのアメリカと、フェミニンなアメリカといってもよい。だから、たとえば、ある種のアメリカン・フェミニズムはマッチョ的だという捩れた言い方もでてくる。
ソフトなアメリカとは、マイノリティーのアメリカ、アンチ・エリートのアメリカともいえる。合「衆」国の民衆的正統、大衆的土着に繋がろうとする傾向といってよい。文学でいえば、ホイットマンやマーク・トゥエーンのアメリカ。非構築的ナラティヴ、すなわち、語りかけ、煽り、あるいは笑わせる口調の文学である。
ブローティガンはこうしたソフトなアメリカの正統に属する、とこんな堅苦しい言い方をすると、ブローティガンには似つかわしくなくなるかもしれない。正統だなどと。
ブローティガンのアメリカ本国における評価は、日本における程には高くはない様子だ。それで、こんなふうにも一言いってみたくなった。トニー・ターナーの『ことばの町(シティー・オブ・ワーズ)』以後、ブローティガンは、アメリカではまともにとりあげられていないのではないか。私の寡聞のせいであるかもしれない。ハロルド・ブルームの編の浩瀚(こうかん)な批評集成『二十世紀作家批評』の項目にはとりあげられていない。我が偏愛のマイナー・ポエットたるデイヴィッド・イグナトーはそのマイナーぶりにもかかわらず、項目にとりあげられている。
アメリカでは、自国での評価より、他国での評価のほうが高いという種類の作家がいる。アメリカに限らないかもしれない。典型は、かつてのポーだろう。ボードレールやマラルメが夢中になったようには、アメリカでは夢中になる人は少なかった。ポーは、フランスにおけるポーよりもはるかに評価は高い、あるいは、かつては高かった。フランス人好みなのである。
ブローティガンもそんなふううになるのであろうか。日本人好みに。日本におけるブローティガン人気の昂まりには、そんな気配も感じられる。
俳句や俳文の影響を受けすぎたのだ。英語散文文章における主知的側面、インタレクチャルな構成、リニアルな構造、ドラマチックな文体などを忘れてしまったライター、余りにフラット、といわれるかもしれない。いやもういわれているだろう。後期の作品はとくにそうだとも。日本文学にいう「随筆」に近づいている。だから日本で受けるのだとも。
この正反対は、たとえば、ジョン・バースである。ハードなアメリカ、エリートのアメリカ、つまりヨーロッパ精神の継承者のアメリカだ。
こちらは私たちの国の読者にはあまり人気をよばない。


いやいや、あたくしは好きですよ、バース(&掛布&岡田←絶対違うね)。書棚にも数冊並んでいるはずです。





ただ、頭のいい人たちは私たちの国にもいて、かれらは頭で了解はするが、しかし、そんなかれらですら、心底にはなじまない。言語の質感がどうもちがうようなのだ。本当はそうであるはずはないのにもかかわらず、バース流の作風は言語の質感が、【からくり】のもつ疲弊感に限定されてしまうようなのだ。いわばそこには言霊が見えてこない。本当はそうであるはずはない。バースの英語は、アメリカ的快活さにあふれているのに。
見知らぬ土地へでかけたら、その土地の言葉を片言でも口にして発音してみる。不完全でもコミュニケートしてみる。片言であること、不完全であることで罰せられるだろうか。むしろ許され、そのこと自体、喜びとなるのではないか。それは、その土地の地霊にふれるに等しい行動となるからだ。殻の固い近代主義的自我を振り払うミソギの身振りにすらなりうるからだ。
『東京――モンタナ急行』は、ブローティガンが東京とモンタナの二重生活を送るなかで、それぞれの土地において、そんな地霊へのトボケタ挨拶を送ったという内容の散文集である。




いや、実際素晴らしい本です。

「ある女性のサンキューに取り返しのつかない悲しさをみた」という一編は、「私」の東京・原宿での奇妙な体験が書かれている。
山の手線の駅で新宿方面への電車を待っていた。駅は濃い緑の森に面している。東京のなかで、心地好い場所の一つである。入線してきた電車は、だが、少し混雑していた。座れなかった。しかし、目の前の席が空いた。「私」は、となりの吊革に掴まっている女性に席を譲ろうとした。日本語で「ドーゾ」という準備も心のなかでできていた。質素な服装の、物静かな、悲しげな雰囲気の女性だった。とそのとき、女性の前の人物が横に席をつめ、空席は女性の目の前にできた。女性は座った。「私」にたいして英語で小さくサンキューといって座った。そして本を読みだした。「その女性は色あせたピンクのソックスをはいていた。ソックスが私を悲しませる。ソックスを見て悲しさを覚えるなんていままでなかった……しかし、ソックスの悲しさは、彼女のサンキューの悲しさにくらべれば、ほんの1、000、000の1にすぎない」
奇妙なのは、体験自体にではなく、この体験にこれほどまでにこだわることのほうにあるといってよい。「私」が悲しさを感じたことは伝わってくる。だが何が悲しかったのか、それが明示的に、分析的に、指示されてはいないのだ。「私」が譲ろうとした席を受けず、つめられてできた席を譲り受けた。席を譲り受けたことにかわりはないにもかかわらず、だからサンキューであるにはちがいないにもかかわらず、なぜか悲しい。ひじょうに悲しい。サンキューが悲しい、そういうことなのだろうか。


この場面はボクもとても好きなところです。そして、その「悲しさ」も何となくわかるような気がします。そして、「そのこと」は決して明示しちゃいけないんだ、ということも……。

虚無、ニヒリズム、実存主義的孤独、こうした二十世紀中葉的語彙は、今日の情報資本主義の社会に生きる日本人には縁の薄いものとなった。だが、言葉が通じないことで、こころが通じない。そのときの、胸のなかのドス黒い闇の盛り上がりは、それでもなおそうした語彙の有する意味範疇に片足をつっこんでいるといえる。コミュニケーション・ギャップの闇は、人の生を萎えさせるに十分の暗黒なのだ。情報の授受が行われ無くなった回路は錆びて、朽ちて行く。いやそのまえに、となりのヤツが席をつめてきて回路を占めるのだ。はじめからそんな空き回路がなかったかのごとく、占有するのだ。コミュニケーション・ギャップに慣らされたこころは、ニヒリズムへと変じて行く。やがて、「私はシンジュク駅で電車を下りた。私のこころのなかでは、彼女のサンキューが、幽霊のように、いつまでもいつまでも鳴り響いていた」
だが、幽霊にとりつかれるというのは、生の領域でのことである。生の混迷の現われかもしれないが、逆に、生の、深い感触であるかもしれない。


このあたりの描写を読むと、村上春樹さんの『中国行きのスロウ・ボート』の中の一編を思い出します。



それは、表題作でして、初期の作品に特徴的な春樹さん的人物である「僕」がデートに誘った中国人の女の子に対して行った間違い(彼女を間違って逆回りの山手線に乗せてしまったこと)についての物語だったと記憶しています。そこからボクが感じたのは計り知れない後悔(と、それに伴う喪失感)と孤独感でした。

そうして『東京――モンタナ急行』のニヒリズムは「ねずみ」の一編に極まって行く。「私」のこころのなかにねずみがいるというのだ。
「私」は東京の町で喫茶店に腰を降ろして人の行き来を見るのが好きだ。だがある日、そうしていると、かすかに何かの臭いがただよってくる。周囲をみわたし、発生源を探ろうとするが、臭いの源も臭いの性質も掴めない。どうも何か生き物の死骸の臭い、死臭であるらしい。なおも鼻を利かして、臭いを探って行くうち、それは「私」自身の胸の奥から漂ってくるのがわかった。胸の奥に死んだねずみが横たわっていて、死臭を放っているのだ。
空恐ろしい遣り切れぬ、うすら、気味悪い一編だ。こころのなかで、いつしか「サンキューの悲しさ」→「死の臭いを放つねずみ」に変じたのであろう。
ブローティガンの日本贔屓ぶりは、ラフカディオ・ハーンのそれを思い出させる。『東京――モンタナ急行』に見る限り、ブローティガンは日本的なるもののなかでも、日本の女性に魅惑されているのがわかる。明治のころのハーンの日本とほとんど何の共通点も持たないように思われる現代の日本の女性に、しかしハーンと同様の眼差しを向けているといっていいだろう。たんなる異国趣味ではない。男根主義的かつロゴス中心主義的西洋マッチョの世界にうんざりした人の視線といってよい。それが誤解だとしても、誤解を誘発する何かが、日本の文化、とりわけ性差にかかわる文化にはあるのだろう。そうした視線は、ロラン・バルトの日本論『表象の帝国』にも見出せるものである。



日本は自分が変わったと思っているほどには変わっていないのかもしれない。着るもの、食べるもの、乗るもの、見るもの、話すものは変わったにしろ、着方、食べ方、乗り方、見方、話し方はそうそう変わるものではないということであろうか。日本フォルマリズムとでも名づくべき「型」優先の肉体主義の現われであろうか。

傾聴すべき意見をいただいたような気分です。

さらにつづきます。



   

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