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デニム中毒者のたわごと

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象の歌

 


「象の墓場」という都市伝説がありますよね。死期を悟った老いた象が仲間たちに知られないようにそっと群れを離れ、特定の場所に向かい、そこで死を迎えるんだっておハナシ。

子供の頃からやたらと気になってしょうがなくってね、あれこれと夢に見たりしたもんです。

(何せ棄老伝説が残るエリアで育ったもんで、そんな風なことも連想したのかもしれません)

あるいは、野山を駆けずり回っていた小学生時代に、白骨化した巨大な牛を見つけたことも影響しているんだろね、きっと。

(何故、森の奥深くのあんな場所で? という疑問は今になっても解決しないまま残ってます――ホント、何故なんだろ? 自由を求めて逃避行した結末なんだろか)

(実際のところ象の墓場って、密猟された象たちの捨て場だったってことを知ったのは随分後のことです) 

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それでもとにかく、意外な場所に「多くのおなじものたち」が集積している光景にやたらと惹かれる傾向が自分にはあるみたい(それが意味しているのが「何」なのか――あるいは「何」に由来しているのか――は無意識に訊くしかないんだけどね)。

長じては、廃車の集積所やら廃棄家電の集積所やらを見て回ったりもしたっけ(相当暇だったんだなー、当時・・・笑)。パチンコ台の集積も目撃したこともあるし、バスの墓場は圧巻でしたね。

だからなんだろか、アジアの各地を巡っていた頃は求めて雑然としたエリアを歩き回っては「混沌」を探したりしてました。

(至るところに混沌は存在し、その都度呆けたように眺めていたんだよなぁー)

市場好きって習性もまた根は同じなんだろね。

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――という話をしたかったわけじゃなかった(笑)

「象の歌」の話だったね。

何年か前、こんな歌が密かに話題になったことがあったっけ。



で、このアニメが原作となって映画も作られたから、覚えているひとも多いんじゃないかな。



象絡みでいうと、昨年に直木賞を受賞した西加奈子さんの作品に『黄色いゾウ』ってのがあって、こっちも映画化されたよね。



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象の歌に関しては、若い頃聴いて気になってる歌があって――ジャズ系の女性ヴォーカルです――なかなかゴキゲンなリズムに乗って「空を飛ぶピンクの象」って歌詞が出てくんのね。で唄っている「わたし」も飛ぶ(笑)

残念ながら検索モリタってもヒットしなかったので紹介できないんだけど、もしどなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、是非とも教えてください。

代わりと言っちゃなんだけど、別の空飛ぶ象の動画をどう象。



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その名もズバリ『象の歌』という映画があります(正確には『エレファント・ソング(ELEPHANT SONG)』なんだけどね)。

世界の映画界で大注目のグザヴィエ・ドランが主演を務めている作品です。



オフィシャルサイトは、こちら。

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まあ、一般的に「象の歌」といえば、この歌を思い浮かべると思うんだけど、



実はこの歌にまつわる個人的な思い出がありまして、そのエピソードを絡めた物語のプランもあるんですよね。

それにしても象・・・深いわぁー。

(相変らず話題があっちゃこっちゃに飛んでしまってすいやせん^^)





   

~ Comment ~

NoTitle 

> 実際のところ象の墓場って、密猟された象たちの捨て場だったってことを知ったのは随分後のことです

知らなかったです。むかし持ってた絵本の挿絵を思い出しました。洞窟の奥から入り口に向けたアングルで、遺体も含まれていたと思うんですが、弱弱しい象がたくさん横になっていました。なにか気配を感じた一頭の象が頭をもたげます。洞窟の入口に逆光を受けた象の黒いシルエットが立ってるんですよね。その新しい仲間のために、頭をもたげた象は自分の脇にスペースを空けてやるのでした。

このあいだサイの密猟を見ました。角ですね。密猟者は大きな角を得るために、角の途中を切り落とすのではなく角の根まで肉ごとえぐるとのことでした。息絶え絶えのサイ、言葉悪いですが、ほんとうに胸糞が悪かったです…。

また先日ですが、町の腕利きの獣医さんを追った番組を見ていました。ペットの寿命はずいぶん延びたとのはなし。犬猫も二十年以上生きていることは珍しくないようです。ある飼い主が相当老齢の弱った犬を病院に連れてきました。
「飼い主さんの気持ちはわかるし、あなたに言うことではないんだけれどね、わかってるよね」先生がおっしゃいました。本来の寿命を越える命を与えてしまったのは人なんだ、そんなニュアンスのことを飼い主に伝え、延命処置をなさっていました。飼い主もハンカチで顔をおさえ泣きながら頷いていました。その先生は、一度医療を頼ることを決めたなら、途中で医療を放棄せず、最後まで薬や通院を続けて痛みや苦しみを和らげてやって欲しいというスタンスのようでした。やれることはやったという思いだけが、ペットロスシンドロームに打ち勝てるというようなことでした。どうなんですかね、むつかしいですね。
父と二人で、祖母の病室に三日間泊まりこんだことがあります。もう回復の見込みはない、そんな段階でした。酸素吸入器のカップがコーホー、コーホー小さく上下するのを延々見続けてるんです。目に見える反応なんて示してくれません。ときどき痰が引っ掛かると、喉がカロカロ鳴って、胸が持ち上がってきます、苦しいんだろうな、でも、反応はないんですよね。目を眇めるわけでもなく、虚ろな目は虚ろな目のままで。ナースコールして、処置してもらって、また延々同じことが続きます。しだいに息は短くなってきました。コ、ホ、コ、ホ。またナースコールをする。着て頂くんですが、特段施すものはないのです。見ていてわかりました。大きく息を吸い込んで灰が膨らむあの気持ちの良さなんて、絶対にないよな、ないよな、見ていて辛くて仕方がなかったです。病人本人の思いと、家族の思いって、違うんじゃないかなと想像した経験でした。
海街diaryにそういうエピソードがありました。後年読んで泣けました。

棄老っていうんですね。楢山節考の世界ですね。
すさまじい風習だと、嫌悪すら覚えていました。
あの映画を見たとき、あの険しい道を何日も、背中と腹をくっ付けて親子がいく。
黙々といくですけどね、十分語りあってるなぁ、と思ったんですよね。
親と子が、まして大人になった子が、親と体を長い時間くっつけあってるなんてことないですもん。
お母さんも恨んじゃいないんじゃないかな、と想像したのでした。


いってきまーす。暑ーーい。

暑いっス 

ネズミさん、こんにちは^^

>> 実際のところ象の墓場って、密猟された象たちの捨て場だったってことを知ったのは随分後のことです

>知らなかったです。むかし持ってた絵本の挿絵を思い出しました。洞窟の奥から入り口に向けたアングルで、遺体も含まれていたと思うんですが、弱弱しい象がたくさん横になっていました。なにか気配を感じた一頭の象が頭をもたげます。洞窟の入口に逆光を受けた象の黒いシルエットが立ってるんですよね。その新しい仲間のために、頭をもたげた象は自分の脇にスペースを空けてやるのでした。

>このあいだサイの密猟を見ました。角ですね。密猟者は大きな角を得るために、角の途中を切り落とすのではなく角の根まで肉ごとえぐるとのことでした。息絶え絶えのサイ、言葉悪いですが、ほんとうに胸糞が悪かったです…。

胸糞の悪い話ですよね。象の墓場も要するにそういうことです。でも、象って弔いの儀式を実際にするんですよね(もしかしたらボクが知らないだけで、あらゆる生物がしているかもしれない――なんてことも想像しているんだけど)。

>また先日ですが、町の腕利きの獣医さんを追った番組を見ていました。ペットの寿命はずいぶん延びたとのはなし。犬猫も二十年以上生きていることは珍しくないようです。ある飼い主が相当老齢の弱った犬を病院に連れてきました。
「飼い主さんの気持ちはわかるし、あなたに言うことではないんだけれどね、わかってるよね」先生がおっしゃいました。本来の寿命を越える命を与えてしまったのは人なんだ、そんなニュアンスのことを飼い主に伝え、延命処置をなさっていました。飼い主もハンカチで顔をおさえ泣きながら頷いていました。その先生は、一度医療を頼ることを決めたなら、途中で医療を放棄せず、最後まで薬や通院を続けて痛みや苦しみを和らげてやって欲しいというスタンスのようでした。やれることはやったという思いだけが、ペットロスシンドロームに打ち勝てるというようなことでした。どうなんですかね、むつかしいですね。

あれこれ考えることが多いですね。家族としての存在になっちゃうとね。

>父と二人で、祖母の病室に三日間泊まりこんだことがあります。もう回復の見込みはない、そんな段階でした。酸素吸入器のカップがコーホー、コーホー小さく上下するのを延々見続けてるんです。目に見える反応なんて示してくれません。ときどき痰が引っ掛かると、喉がカロカロ鳴って、胸が持ち上がってきます、苦しいんだろうな、でも、反応はないんですよね。目を眇めるわけでもなく、虚ろな目は虚ろな目のままで。ナースコールして、処置してもらって、また延々同じことが続きます。しだいに息は短くなってきました。コ、ホ、コ、ホ。またナースコールをする。着て頂くんですが、特段施すものはないのです。見ていてわかりました。大きく息を吸い込んで灰が膨らむあの気持ちの良さなんて、絶対にないよな、ないよな、見ていて辛くて仕方がなかったです。病人本人の思いと、家族の思いって、違うんじゃないかなと想像した経験でした。

はい。これもまた考えることが多いです。いろんな実話も知っているし、やはり個別の思いと哀しみがあるようです。

>海街diaryにそういうエピソードがありました。後年読んで泣けました。

ええ、ありましたね。

>棄老っていうんですね。楢山節考の世界ですね。

そうです。長野の実家の隣(だったかな?)の駅が「姥捨山」なんです。田毎の月が綺麗な地なんですけどね。

>すさまじい風習だと、嫌悪すら覚えていました。

フレームから考えるとね。
でも、それだけ過酷な生活を強いられていたってことでもあるわけです(棄老だけでなく、人身売買じみたことも、そんなに遠くない過去まで続いていました――「口減らし」って、とても哀しい言葉でね)。

>あの映画を見たとき、あの険しい道を何日も、背中と腹をくっ付けて親子がいく。
黙々といくですけどね、十分語りあってるなぁ、と思ったんですよね。
親と子が、まして大人になった子が、親と体を長い時間くっつけあってるなんてことないですもん。
お母さんも恨んじゃいないんじゃないかな、と想像したのでした。

作品としての『楢山節考』は素晴らしいと思います。原作も映画も。
近年になって、同じ状況に逢いながら、元気に暴れて逆に村を救ってしまう老人たちを描いた作品が何作か登場していますね。

>いってきまーす。暑ーーい。

くれぐれも熱中症にはご注意ください。
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