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デニム中毒者のたわごと

Literature

四月は残酷な月 その3

 
さて、そろそろ本題に入っていくことにしましょうか。

何故、四月が「最も残酷な月」なのか・・・

少なくともエリオットの詩をストレートに読む限り、そんな風には感じられないと思います(今シリーズ初回をご覧ください)。

あ、でも、拙訳で個人的に説明していたよな気もしますねー。
というのも、本文には書かれていないことを「( )内」で補足してましたもの(笑)

――で終わらせるのも芸がないので、もうちょい語ります。

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Wikiくんはエリオットの「荒地」について、こんな風に語っています。

1921年に初稿を執筆。エズラ・パウンドの助言により、エピグラフ(コンラッド『闇の奥』の引用)の変更や、エピソードの削除等を行った。

フレイザー『金枝篇』の聖杯伝説を骨格として、聖書、ダンテ、シェイクスピアなどの引用を散りばめ、意識の流れの手法も用いて、第一次世界大戦後の荒廃した世界と救済への予兆を描きだした。末尾にはサンスクリット語も使用され、インド思想の影響も指摘されている。

1922年に文芸誌に発表。433行の難解な詩であり、中々理解されなかったが、1930年代になってF・R・リーヴィスらに評価されるようになった。


前回記事の『イギリス文学案内』の紹介文‎と被るところが多いけど(まあ、当然だけどね)、それでも注目すべき内容が散見されます。

まず1921年。第一次世界大戦が終結して3年後です。しかし実際は更なる混乱を内に秘めたまま戦乱の火種が燻っていたんですよね(それが第二次世界大戦に繋がります)。

そんな中で執筆されたわけです。

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エズラ・パウンドの名前も出てきましたね。

彼もまた非常にユニークで魅力的な人物なので、大いに語りたいところですが、更なる脱線と混乱に陥ることになりかねませんから(笑)自粛させていただきます(でも、一つだけ言うと、wikiくんが説明していた「エリオットのインド思想の影響」ってのも、実際のところ「=エズラ・パウンドの影響」だろね)。

で、ボクが語りたいことのポイントは、彼が助言したエピグラフについてなんです。

今シリーズの冒頭でも述べたように、エリオットは引用の鬼でした(そして、それこそが「世界文学」の条件だと個人的見解も述べました)。

エリオットは他の作品のエピグラフでも、ダンテの『神曲』からとても長い引用を行ったりしています(別の作品ではシェークスピア作品からの引用をエピグラフに使っています)。

で、『荒地』では、コンラッドの『闇の奥』を引用しているんですよね。

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ふぅーむ。面白くなってきたゾ(笑)

何故なのかは、これから語ります。

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……で、つづくんだなぁ。





   

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