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デニム中毒者のたわごと

『文藝月光』&poetry

風景とオルゴール

 
今回タイトルの8文字だけで、あれこれ想像が膨らんできます。

これ、ボクが考えたわけでなく、宮沢賢治さんの作品(詩)のタイトルです。

賢治さんの生前に唯一刊行された詩集『春と修羅』の巻末付近に掲載されている詩群のひとつです。
『春と修羅』に関しては過去ログでも何度か触れたことがありますね。
     ↓
http://tsfc501.blog66.fc2.com/blog-entry-252.html

http://tsfc501.blog66.fc2.com/blog-entry-772.html

http://tsfc501.blog66.fc2.com/blog-entry-794.html

「風景とオルゴール」は、こんな詩です。
    

   爽かなくだもののにほひに充ち

   つめたくされた銀製の薄明穹(はくめいきう)を

   雲がどんどんかけてゐる

   黒曜(こくやう)ひのきやサイプレスの中を

   一疋の馬がゆつくりやつてくる

   ひとりの農夫が乗つてゐる

   もちろん農夫はからだ半分ぐらゐ

   木(こ)だちやそこらの銀のアトムに溶け

   またじぶんでも溶けてもいいとおもひながら

   あたまの大きな曖昧な馬といつしよにゆつくりくる

   首を垂れておとなしくがさがさした南部馬

   黒く巨きな松倉山のこつちに

   一点のダアリア複合体

   その電燈の企画(プラン)なら

   じつに九月の宝石である

   その電燈の献策者に

   わたくしは青い蕃茄(トマト)を贈る

   どんなにこれらのぬれたみちや

   クレオソートを塗つたばかりのらんかんや

   電線も二本にせものの虚無(きよむ)のなかから光つてゐるし

   風景が深く透明にされたかわからない

   下では水がごうごう流れて行き

   薄明穹の爽かな銀と苹果とを

   黒白鳥のむな毛の塊が奔り

     《ああ お月さまが出てゐます》

   ほんたうに鋭い秋の粉や

   玻璃末(はりまつ)の雲の稜に磨かれて

   紫磨銀彩(しまぎんさい)に尖つて光る六日の月

   橋のらんかんには雨粒がまだいつぱいついてゐる

   なんといふこのなつかしさの湧あがり

   水はおとなしい膠朧体だし

   わたくしはこんな過透明(くわとうめい)な景色のなかに

   松倉山や五間森(ごけんもり)荒つぽい石英安山岩(デサイト)の岩頸から

   放たれた剽悍な刺客に

   暗殺されてもいいのです

     (たしかにわたくしがその木をきつたのだから)

      (杉のいただきは黒くそらの椀を刺し)

   風が口笛をはんぶんちぎつて持つてくれば

     (気の毒な二重感覚の機関)

   わたくしは古い印度の青草をみる

   崖にぶつつかるそのへんの水は

   葱のやうに横に外(そ)れてゐる

   そんなに風はうまく吹き

   半月の表面はきれいに吹きはらはれた

   だからわたくしの洋傘は

   しばらくぱたぱた言つてから

   ぬれた橋板に倒れたのだ

   松倉山松倉山尖つてまつ暗な悪魔蒼鉛の空に立ち

   電燈はよほど熟してゐる

   風がもうこれつきり吹けば

   まさしく吹いて来る劫(カルパ)のはじめの風

   ひときれそらにうかぶ暁のモテイーフ

   電線と恐ろしい玉髄(キヤルセドニ)の雲のきれ

   そこから見当のつかない大きな青い星がうかぶ

      (何べんの恋の償ひだ)

   そんな恐ろしいがまいろの雲と

   わたくしの上着はひるがへり

      (オルゴールをかけろかけろ)

   月はいきなり二つになり

   盲ひた黒い暈をつくつて光面を過ぎる雲の一群

      (しづまれしづまれ五間森

       木をきられてもしづまるのだ)
   


以前もどこかで語ったかもしれないけど、ボクの( )好きは、きっと無意識のどこかで賢治さんの影響を受けていたんでしょうね。

この詩は1923年の9月16日に創られた4作の詩のひとつです。

この日の賢治さんは森に木を伐りに行き、その帰りに「花巻電気軌道」の電車に乗って、花巻まで帰ったことが分かっています。

ですから、これらの詩は、電車の車中、日没後から薄明が終了する一時間ちょいの間に詠まれたということが分かります(詩の内容がそうですから)。

この詩集に収められた詩は、数年に亘っています。大事なトシさんが亡くなった時期も含まれていますから、いわば賢治さんの全てが込められている詩集とも言えますよね。

だからこそ、今もなお(そして、おそらく未来永遠に)多くの人々の心を捉えて離さないのでしょう(今では世界中で読まれています)。

+++

さて・・・今回は賢治さんの、こんなエピソードを紹介して記事を閉じようと思います。

この時期は「新蕎麦」の季節でもあります(今はちょい旬を過ぎましたけどね)。

あまり知られてはいないと思うけど、宮沢賢治さんも大の蕎麦好きだったんです。
たとえば、神田の老舗蕎麦屋に「藪そば」がありますよね。そこに友人を誘う際、

「BUSHへいきましょう、BUSHへ」

なんて言ったという話が伝わっています(笑)原稿料が入ったら・・・と付け加えてね。

果たして賢治さんの生前にどれだけの原稿料が入ったかは不明ですが(おそらく雀の涙ほども無かったことでしょう)、間違いなく藪の蕎麦は何度も食したようです。

なかでも賢治さんのお気に入りは「天麩羅そば」でして、必ずサイダーと一緒にオーダーしたそうです。
天麩羅そば15銭、サイダー23銭の時代に・・・です。

なんか好きなんですよね、このエピソードが。極めて「賢治さん的」だと思います(笑)





   

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