大いなるデジャヴュ その66

Literature


村上春樹さんの『騎士団長殺し』(及び『みみずくは黄昏に飛びたつ』 )の続きです。

――このインタビューの最初にも一人称「私」についてはお話を伺いましたよね。今の村上さんには、「私」という主人公が、「私」って書き始めることが、なんかすごくしっくり始まった、みたいなことを。

村上 うん。「私」という一人称じゃないと、この小説はうまく成立しない気がしたんです。最初に「私」という一人称を選択した時点で、この小説の性格がずいぶん定まったんじゃないかな。

――どの人称で書くかは、その物語世界全体のムードに直結します。

村上 僕の感覚からいくと、「私」というのは、どちらかといえば観察する人なんです。「僕」という人間は、たとえば『羊をめぐる冒険』のときが典型的なんだけど、いろんな周囲の強い力に導かれたり、振り回さりたりすることになる。でも今回の小説の「私」は、確かに導かれたり振り回されたりはするんだけど、もう少し、何というのかな……。

――冷静な。

村上 観察をして、なんとか自分の立場を維持しよう、保持しようとする意志がしっかりある。だから、『羊をめぐる冒険』における一人称の「僕」よりは、もう少し社会性を持っているというか、そのへんがちょっと違うと思う。

――性格も違いますしね。

村上 だから、三人称の小説をいくつか通過して、今また一人称に戻ったけど、同じところには戻ってないな、という気がする。新しい一人称の世界が始まったのかなと。

ほんとにそうなのかな? 今回の作品を読んだだけではボクには分かりません。

――村上さんは「僕」で書いてきた時期が長かったじゃないですか。村上さんの小説の一人称の「僕」は最大の発明だと言う人もいるぐらいで、けっこう特殊なんですよね。

村上 かもね。僕にとってはわりに普通だけど。

――主人公の人や物への態度も大いに関係あると思うんですが、三人称的な効果がありますよね。逆説的になるんだけど、だからこそ、そのクールなあり方をする主人公に、憧れを抱きつつ自己を投影できるというか、そういう機能を持った「僕」だということを「MONKEY」のインタビューのときにもお伝えしました。そういう「僕」によって語られていく世界に、たくさんある村上さんのシグネチャーの重要なひとつがあった。その「僕」だけに可能な――モラトリアムや甘えの構造も含んだ、切なさとしか言いようのないものが表現されているじゃないですか。

村上 うん、うん。

――その切なさみたいなものを、読者は懐かしんだり、初期のほうがいいね、とかみんな言うわけです。時代は関係なく、それが一九九〇年代でも、二〇〇〇年代でも、その時々にのっぴきならない「切なさ」を生きている人たちにダイレクトに響く。村上さん自身は、もう一度あのときの「僕」みたいな感じで何か書いてみたいとか、あのときの空気感をもう一回味わってみたいな、ことは思ったりはしませんか。

村上 思わない。僕にはそういう懐かしいという感じはないから。「今、三十歳に戻してやるけど、戻りたいか?」と言われたら、「いや、けっこうです。あれ、一度やればもう十分です」と答えるしかないんだけど、それに似ているかも。

個人的には残念な回答ですね(おそらく、川上さんも同じだと想像しています)。

そして、肝心なのは、これでもまだ、読者との「信用取引」が成立すると思っているんでしょうか?

もしそうだとしたら――預言するけど――いずれ春樹さんは手痛いしっぺ返しを喰らうことになるんじゃないかな? そうならないことを祈るけど……(=それは春樹さんの回心を意味しますけどね)。

次回はサブタイトル「昔書いた本は、古くて読み返せない」に移ります。タイトルを聴く限り、回心は困難なようですね。

つづきます。

大いなるデジャヴュ その65

Literature


村上春樹さんの『騎士団長殺し』(及び『みみずくは黄昏に飛びたつ』 )の続きです。

――今回の『騎士団長殺し』では、家とか部屋のディテールの描写といえば、免色邸。ああいう大邸宅を一回書いておこうか、みたいなことは?

村上 いや、そんなことないです。あれは免色さんが住んでいる家だし、物語の大事な舞台にもなっているから、ある程度きちんと描写しておかなくちゃということで、まあしょうがなく書いていたわけです。僕はとくに家とか建築物に興味があるわけじゃないから。あの家は広いから、間取りとか方角を考えるだけで面倒だったな(笑)。

――しょうがなく書いたという感じ?(笑)

村上 うん。途中で自分でも間取りがわからなくなってきて、ゲラの段階で担当編集者に矛盾を指摘されて、書き直しに苦労しました。なにしろ大学の建築学科を出ている編集者だったもので。

――車の描写も多かったですよね。

村上 うん。ジャガーとか、実際の車に乗って研究しました。ジャガーって運転したことがなかったんで、小説を書き終えてから中古屋さんに行って、運手化させてもらいました。間違いがないかどうか確かめるために。中古車だったんだけど、乗ってみるととても素敵な車で、十数年落ちだから値段も手頃で、「ああ、これほしいよな」と思ったりして(笑)。買わなかったけど。買ったら免色さんになってしまいそうな気がして。

――今回の主人公は三十六歳。これまでも村上さんの小説は、三十代の主人公が多いのですが、多崎つくるさんは自由が丘の親からもらつたマンションに住んでいたり、だんだんこう、三十代の主人公の目が、年相応よりも肥えてきてる感じがするんですよね。

村上 目が肥えている? どういうことだろう?

――ええ。例えば「私」は、免色さんの家に招待されたときに、出された皿が古伊万里だとすぐにわかるんですよね。室内に置かれてあるものを目で追っている描写を通じて、ものの価値がよくわかっているという感じがする。これが、『ねじまき鳥クロニクル』の岡田亨さんの場合は、もうちょっとプアな感じがありますよね。お金持ち連中の価値観みたいなものは、自分の外側にあるものとして距離を感じている。でも多崎つくるさんぐらいから、だんだん富裕層の雰囲気が出てきています。今回の三十六歳の「私」も、お金は持っていないかもしれないけれど、パッと車に目がいく、調度品に目がいく、絨毯、食べ物にも……みたいな感じで、目が肥えているというか、いろんなものの価値を知っているんだなと。雨田政彦の音楽の趣味もそうですよね。今回の「私」は女性で言うと「家庭画報」とか「ミセス」とかを定期購読してる感じというか。男性誌ではちょっと喩えがわからないんですけど。

村上 うん、そう言われればそうかもしれない。

それは端的に、春樹さん自身がそういうランクのライフスタイルを送っているってことなんじゃないのかな? かつての若かった時分の春樹さんとは違って、現在の春樹さんはかなりのリッチマンだもの。

――主人公に三十代半ばの男性が多いのは、水先案内人的な、この先どうなのかわからない年齢であることを理由に挙げていらっしゃいましたよね。そんな中でも、だんだんその主人公が纏う文化的雰囲気とか、持ち合わせている教養とか、そういったものが変化してきているなと。
『ねじまき鳥』の岡田亨さんであれば、たぶんあそこまで車に注目しなかったはず。大きい車だな、ぐらいに眺めて、皮肉の効いたクールな比喩がぽんと入る感じ(笑)。そういう変化は読者として、とても興味深く読みました。一人称でお書きになって、語り手が何を見るか、何をその読者に伝えていくかというのは、小説の世界観にも関係する、とても大きな要素です。そういう意味でも、今までの一人称ともまたちょっと雰囲気が違いますよね。


川上さん、ボクが言ったようなこと、暗に批判しています?

村上 たとえばチャンドラーは長年にわたってフィリップ・マーロウを主人公にした長編小説を書き続けていますが、マーロウも少しずつ年齢を重ねていくんです。年齢の設定自体はそれほど変化しないんだけど、そのキャラクターの印象は、年を追うにつれて少しずつ円熟し、老成していく。初期の小説ではけっこう乱暴な、やくざっぽいところもあったんだけど、後期の小説ではもう少し老成しているというか、思慮深くなっています。人生に対する諦観みたいななのもそれなりに色濃くなっている。もちろんそういうのは、作者であるチャンドラー自身の変化を反映しているわけですよね。
それからもう一人の有名なマーロウ、ジョセフ・コンラッドの『闇の奥』や『ロード・ジム』の語り手であるマーロウ船長も、作者の年齢の変化に従って、少しずつその雰囲気やものの見方が変わっていきます。僕は彼らのように同じ主人公でシリーズものを書いているわけではないけど、一人称単数ということで言えば、やはりそういう年齢的な変化みたいなのはたしかにあるだろうなと思う。僕の視点というのは、主人公の視点に、やはり避けがたく混じり込んでくるから。
で、僕は今回この小説を書くにあたって、「私」という人称を迷うことなく選んだわけです。今回は「私」で書くしかないなと、最初からそう思っていた。これまで僕が書く小説の一人称は、だいたいにおいて「僕」だったですよね。そして僕がこれまで使ってきた「僕」という一人称と、今回の「私」という一人称とのあいだには、それなりの距離がある。その距離感はある程度意図的なものでもあり、また同時に自発的なものです。それが川上さんの言う、その「変わった」しいう感じなのかもしれない。


おやおや? いつになく饒舌ですね、春樹さん。ひょっとして地雷を踏んじゃっちゃいましたか? 川上さんってば。

気になるところですが、次回につづきます。

大いなるデジャヴュ その64

Literature


村上春樹さんの『騎士団長殺し』(及び『みみずくは黄昏に飛びたつ』 )の続きです。

――あの騎士団長の、「あらない」みたいな妙な言葉遣いは、キャラクターと同時にでてくるかとは思うんですが、本当にこういうところがお上手ですよね(笑)。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のホールデン君の先生のうめき声を「あーむ」って訳されたり。印象に残ってるなあ。


村上 そういうのって、なんか自然に出てくるんです。

――口で言ってみるんですか、自分で「それはあらないよ」とか。

村上 まさか口に出して言ったりしないよ。そんなの馬鹿みたいじゃない(笑)。

そうなの? ボクは言うけど、馬鹿だから(笑)

そういうのって、必要になると、なんかふっと出てくるんですよね。いちいち考え込んだりはしない。考え込んだりすると、ろくなことはないから。でもね、考えないのって、普通は意外に難しいのかもしれないですね。つい考えちゃう。

――そのままの流れを大事にして。

村上 とにかく、なんかちょっと変かなと思っても、「まあいいや、明日考えられることは、また明日考えよう」みたいにしてそのまま行ってしまいます。思い切って考えずに行っちゃうと、それで何とかなるものなんです。


――じゃあ、ここは二枚半ぐらいまず書いて、あとからしっかり考えるから、みたいな感じで。

村上 そういう感じ。とにかく考え込むことは回避するようにする。


――逆に、こう、文章の進みがふっと遅くなるというか、重くなるのはどういったところですか


村上 やっぱり地の文章ですね。地の文章は場合によっては、書くのにかなり骨が折れます。読むほうもね、会話なんかはわりにスラスラ読めるんだけど、地の文章になると、ある程度気合を入れて読み込まなくちゃいけない。そこには大事なことが書かれているかもしれないし。作家にも二種類あって、地の文を「しっかり読み込め!」という感じで密にごりごり書き込む作家と、これは読者も大変だろうなと思って、それなりにサービスする作家がいます。

――親切に。

村上 そう、親切心を出す。僕はどっちかっていうと親切心のある作家かもしれない。それこそ前回話した「太った郵便配達人と同じくらい」みたいな表現をひとつ入れると、読者は心が緩みますよね。その緩ませる感覚というのはけっこう大事だし、それをどういう塩梅に配置していくかというのは、作家の腕の見せ所になる。


――親切心から「ここに何かが要るな」と思ったら、少々骨が折れる予感がしても、とにかく書いてみるんでしょうか。

村上 僕は書きにくいところは、面倒だから適当に書き飛ばしておきます。

――書き飛ばす。

村上 たとえばこの部屋の描写がここで必要だとしますよね。それを最初からきちんと書き込もうとすると、頭がぐつぐつ煮詰まってくるから、とりあえず思いつくままに適当に書いちゃうわけ。たとえばここは四百字詰め原稿用紙二枚半くらい使って描写すべきところだなと思ったら、原稿用紙二枚半ぶん、とりあえず描写しちゃうわけ。何はともあれ必要なスペースを字で埋めておく。うまい文章を書く必要はありません。あとで書き直すときに、必要に応じて削ったり膨らましたり、細部を丁寧に書き込んだり、美しい親切心を入れたり、素敵な比喩をきかせたりすればいい。一日十枚書いていくには、そういう難しいところは適当にスルーしないと身がもたないから。

――そうですよね! 今、心から安心しました……だって不思議だったんですよ。毎日十枚きっちり完璧なものを書いていくって、そんなの絶対無理じゃなかろうかと(笑)。

たぶん、川上さんと同じことを思って胸を撫で下ろした方は多いんじゃないでしょうか(笑)
文章を書いている人にとって元気をもらえる言葉でしたよね(でも、ちゃあんとスペースは確保しとくんですね。そこは目から鱗でした)。

村上 完成稿を毎日十枚書こうと思うと、そりゃ難しい。

――ですよねですよね。ここは二枚半ぐらい要るというのは大体わかるから……。

うん、実感がこもってる(笑)川上さん、かわいい。

村上 小説というのは呼吸だから、その呼吸のバランスさえ押さえておけばいいわけ。ここは二枚半描写というのが頭の中の工程表に入っていればいいんであって、とにかく書いてしまう、二枚半。何でもいいから。

うんうん、いい言葉だ、メモメモ。

――呼吸を押さえつつ、書ける範囲で書いておくと。ザーッと。

村上 ザーッと書いちゃう。それであとで読み直してみると意外に、「ああ、これでべつにいいじゃん」みたいなことになったりもします。

――案外うまいじゃん、みたいな(笑)。その部分は、データ上でマークとかつけておくんですか。

村上 つけない。頭の中で記憶する。というのは……あ、ひとつ言い忘れたけど、一日十枚書くって言いましたよね。でもね、朝起きてコンピュータに向かって、まず最初にその前の日に書いたぶんに手を入れるんです。その十枚ぶんを読み直して、荒っぽいところを少し均します。

――それって大体一時間ぐらいですか。

村上 そんなにかかんない。


――三十分ぐらい?

村上 ううん、もっと短い。十五分か二十分か、そんなものかな。足りないところを付け足し、余分なところを削ります。でもそんなにぐじゅぐじゅ時間をかけないで、わりにあっさりと一通り手を入れるという感じ。そしてその流れをつかんでから、今日のぶんに取りかかります。連続ドラマで「前回のあらすじ」みたいなのがあるじゃない、「Previously on Breaking Bad…」みたいな感じで。あれと同じ。で、その翌日は、今日書いた分にまた手を入れて……というのを毎日繰り返していく。ヘミングウェイも同じようなやり方で書いていたという話を、どこかで読んだことがあります。

――でも、そうやって日々のレベルでも書き直しがあり、一稿、ニ稿、三稿と、最後、十稿まで行くわけですよね(笑)。

村上 うん。

――短編はそこまでしないですか?

村上 短編ももちろんしますよ。ただ、短編の場合は読み返すのに時間がかからないから、長編のときほど大変な作業にならないというだけであって。

大変参考になるインタビューでしたね。

さて……次回は「新しい一人称の世界が始まったのかな」というサブタイトルのインタビューに移ります。これもまた楽しみなタイトルですね。

つづきます。

大いなるデジャヴュ その63

Literature


村上春樹さんの『騎士団長殺し』(及び『みみずくは黄昏に飛びたつ』 )の続きです。

――そういうところ(笑)。

村上 最初はほとんど全部想像で乗り切ります。画家がどういうふうに絵を描くかって、僕は生まれてから一度も油絵なんて描いたことないから、技術的なことはほとんど何も知らないんだけど、適当に書いてしまう。ウィキペディアか何かみたいなもので、簡単に調べられることは少しチェックしたりするけど、できるだけそういうものも見ないようにしています。

――できるだけ見ないようにするのには、理由がありますか。

村上 「こんなもんだろう」と自分で想像したほうがうまく書けるから。いろんなディテールを引っ張り込んでくると、ディテールが幅をきかせて、文章がうまく流れていかないことがあります。第一稿はとにかく文章の勢いで話を持っていかなくちゃいけないから、できるだけフットワークを止めないようにする。ディテールはあとから何とでも調整できる。わからないところは新潮社の校閲部が引き受けてくれるし。

――二千枚の原稿を近くで見たり、遠くに引いて見たりということを繰り返すなかで、ふと、原稿に対する自信が消失するというか、「これ、ひょっとして……こんなに長く書いているけど、俺以外は面白くもなんともない小説なんじゃないだろうかみたいに不安に思ってしまうことって、ないですか?

村上 ない。

――確信みたいなものがずっとあるわけですか。

村上 うん。確信がなければ長編小説は書けないもの。

――書いているときも?

村上 うん、書いているときには疑いみたいなのはないね。書き終わってから、書いたものを読み直して「あ、ここはちょっとまずかったな」といったことが見えてきて、場合によってはそこを大きく書き直すことはあるけど、書いているときはそんなこと考えたってしょうがない。もうとにかく確信を持って書いていくしかないです。迷いなく乗り切っていく。

――「これは失敗作だったんではないだろうか」みたいなこと、ちらっとも思わない?

村上 思わない。どこか途中まで書いて、「あ、これ失敗だな」と思って、また前に戻って書き直すってことはなかったですね。覚えている限り。

――行先はもう決まっていて、もうそこに行くだけ?

村上 もう始めたら行っちゃうしかない。前に前に進んでいきます。あとでなんとでも直せるんだから、とにかく話の流れを追って、最後まで書き上げてしまう。

――第一稿と、編集者に手渡した二千枚の内容ってどのぐらい違うのかなあ。それを全て知っているのは村上さんしかいないわけですけど。

村上 違っているところも何か所かあります。たとえば……この登場人物がここで何かをおこなった、というエピソードがあったけど、やっぱりそれは話の流れにそぐわないなと。だから彼は(彼女は)それをしなかったことに変更する、あるいは違うエピソードに差し替える、というようなことはしばしばあります。でも、それによって本筋が変わることはない。それくらいはいくらでも技術的に対応できます。

――印象も変わらない?

村上 印象もとくに変わらないと思う。あくまでテクニカルなことだから。

――それこそ、この小説のイデアみたいなものがあって、それがつかんでいるものは最初から変わらないというか。

村上 うん、話の流れの本筋さえつかめていれば、何も心配ありません。僕は直すのは得意なので、あっという間に直してしまう。


――……ともあれ、十か月の間に二千枚以上お書きになって、あまり日割り計算には意味がなくても、とにかく毎日十枚ぐらいは書いて、お仕事すると。

村上 うん。 

このふたり、付き合ってんのか? と勘繰りたくなるよな会話が続いていますね(笑)

――ディテールについてはどうでしょうか。ここは書いていて楽しかったな、とか、ここスラスラ書けたな、というところなど、今振り返ってみて印象的なところはありますか。

村上 とくにない。日々仕事をこなしていくだけ。

――ない? 全部けっこう均質なんですか? ここは書いていて楽しかったな、みたいなところとか。

村上 そういうの、思い出せないな。


――何かないですか。二千枚と十か月も付き合うと、なんかこう。

村上 会話を書くのは好きだから、騎士団長が話すシーンとか、それから雨田政彦との話とか、そういうところは苦労なくすらすらと書けます。楽しく書けるか、と言われるとそれはよくわからないけれど少なくとも苦吟するようなことはなかったな。、

つづきます。

大いなるデジャヴュ その62

Literature


村上春樹さんの『騎士団長殺し』(及び『みみずくは黄昏に飛びたつ』 )の続きです。

――今回、長編が始まったときって、どんな雰囲気だったんでしょう?

村上 書き始めたのは二〇一五年の七月だから、『村上さんのところ』の本が出て、一息ついた頃ですね。

――あれはちょっと恐ろしい数のメールでしたよね。

村上 うん、恐ろしい数。もうすさまじい量のメールが寄せられて、それをとにかく一通り読んで、たくさんの返事を書いて……全部で二千通くらい返事を書いたっけなあ(註・実際には三七一六通の返事を書いた)。とにかくそれが終わるまでは他のことはもう何もできなかった。最後の方は頭がくらくらして、目も霞みました。目にはよくなかった。それがなんとか終わってホッとして一息ついて、それから「そろそろ小説に取りかかろうかな」というふうになったんじゃないかな。

――ちょっと休まな過ぎじゃないですか。

村上 そういえば忙しかったかな。僕はその前年に『女のいない男たち』という短編集を出して、それから、年が明けて四か月ほど『村上さんのところ』を集中してやって、秋に『職業としての小説家』というのを出すことになっていて、そろそろ順番としては長編小説だなという思いは頭の中にありました。漠然とした出だしのイメージはもちろんあったんだけど、実際にいつ長編小説を書き始めるかというのは、そのときになってみないと僕にもわかんないんです。あのときは、『村上さんのところ』の仕事を終えて、たしかハワイに行ってたと思います。ハワイでのんびり寝転んで、目を休めて、そのうちになんだかわからないけど、「まあそろそろ行っちゃおうか」というむらむらした気持ちになってきて(笑)。



――村上さんののんびりって、まさか三日とかじゃないでしょうね(笑)。とにかく、切れ目なく続く、ものすごい仕事量。

村上 僕にとって、締切りのない仕事は趣味でやっているようなものだから、それはもう仕事とも言えない。だから、忙しいかと訊かれると、「いや、今は翻訳しかやってないから別に忙しくないですよ」みいなことを言ってたりして。

――そんなふうに、村上さん的休息もまあ、一段落して

村上 長編の書き始めは、「よし、やるぞ」というんじゃなくて、「まあ、ちょっとやってみるか」という感じで、気楽な試し書きみたいなものから始まります。そうすると、わりに話が自然にのびていって、やがて本格的に物語に入り込んでいきます。

――それが最終的にどれぐらいのサイズの小説になるか、そういうのつてわかりますか?

村上 大体わかりますね、そのときの気分で。長編、今回の場合は二千枚だけど、まあ、千枚は超す、千五百枚は超すだろうな、ぐらいの感じはわかる。唯一わからなかったのは、『ノルウェイの森』の時ぐらいかな。あれは、中編のつもりで始めて、思ったより長くなっちゃったけど、僕の中では小説のタイプが少し違うから。大抵は書き始めて、この書き始めだったらこれく゜らい行くかなとか、おおよそのことはわかります。

――それで今回は二千枚ぐらいだな、と。

村上 編集者に渡すまでに全部で三百枚ぐらいは削りましたけど、確か。

――その過程が、この一覧表に。


村上 やっぱり長編を書くと、どうしても書き込み過ぎるんです。力が入ってくるし、前に書いたことを忘れてもう一回書いたりして。だから、どうしても長くなり過ぎる。

――ゲラが出るまでの段階で六稿まで直されてきたわけなんですけど、増減を繰り返して、ピタッと収まったかな、ということでゲラを出校してからも、またさらに書き直し?

村上 ゲラ、何回やったっけな。初校、再校、三校……念校で最後かな。

――じゃあ、全部で……十校だ(笑)。

村上 いや、それぐらいはいつもやりますよ。今回は少ないくらいだと思う。

――長編になると、これぐらいは必ず?

村上 うん。それぐらいやらないと落ち着かないですね。長編というのは、全体の構成のバランスも複雑だし、整合性のこともあるし、事実関係もあるし、僕だけじゃなく、何人もかけて相当細かく読み込んでもらわないと


――例えば今回だったら画家が主人公なので、ディテールがありますよね。専門的なことを調べる必要のある描写も出てくると思うんですけど、最初から、そういう場面も書き込んでいくんですか。それとも……。


村上 そういうのは最初の段階ではそれほど細かく書き込みません。だいたいは頭の中で想像して書いちゃう。細かいところはあとで調べて訂正すればいいんです。たとえば日本画家は絵筆のことをブラシとは呼ばないとか……。


つづきます。

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コウです。プロフィールの画像が詐欺ではないかとの噂がありますが(笑)、ン十年前はこんなでしたってば! と言い張っちゃう^^
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