レアな村上春樹さん その25

Literature



自分の体験を直接的に書くのは嫌いだ

村上 そうです。僕の小説には家族というものは殆ど出てこないですね。だから「カイエ」のインタヴューでも言ったと思うんですが、これは『スヌーピー』の漫画によく似ている。あの漫画も子供と動物しか出てこないですよね。でも『スヌーピー』は土着的な要素を拒否しているのではなくて、あの狭いレベルに状況設定した方が、いろんな物事がよりリアルに描けるからですよね。あの漫画に大人が出てきたら、あの漫画が抱えている意志のようなものはどんどん薄められていく。僕のやっていることはどちらかというと、そちらの方に近いかもしれないですね。もちろん土着的なものをとりはずしているという意味あいもかなり強いですけれどね。
『風……』という小説が小説としてある程度有効的に成立しているとすれば、それはその時点で書けることと書けないこと、書くべきことと書くべきじゃないことを本能的に選別したせいだと思うんです。書けないことや書くべきじゃないことはうまくずらしている。たとえば家族の問題や名前の問題といった普通の小説に普通に出てくるファクターがここでは省かれていますよね。そのぶんそれ以外のことに神経を集中することができたと思うし、それはそれで方法論的に良かったと思っています。普通の小説を書かなくちゃいけないというルールは何もないわけですから。小説家というのは自分の能力に応じて、自分の書きやすいように小説を書けばいいと思うんです。他人をうならせようとか、他人に認めさせようとか思うと、話がすごくややこしくなっちゃいますよね。そういうのは僕はまずいと思う。とくに新人の作家に必要なのはそういった本能的な選別能力なんじゃないかな。新人の作家なんて書けることより書けないことの方がずっと多いですよ。家族や土着的要素が出てこないことで最初のうち「リアリティーがない」という風によく非難されたけれど、最初から何もかもちゃんと書けるということの方が僕には不自然に思えます。小説家というのは書きながら少しずつそのフィールドを拡げていくものだと僕は考えているから。大事なのはいろんなことを上手く書くということではなく、自分がその小説にこめたいと思う意志をくっきりとさせることでしょうね。それが力になる。


このあたりの文章もメモっておいた方がいいでしょうね。
① その時点で書けることと書けないこと、書くべきことと書くべきじゃないことを本能的に選別すること
② 小説家というのは自分の能力に応じて、自分の書きやすいように小説を書けばいい。
③ 小説家というのは書きながら少しずつそのフィールドを拡げていくものだと考えているから、大事なのはいろんなことを上手く書くということではなく、自分がその小説にこめたいと思う意志をくっきりとさせること。

だから僕ももちろんそのフィールドを拡げていきたいと思っているし、これまでそうしてきたつもりです。遅々とした歩みではあるけれど、僕はまだ三六だし、先は長いですからね、それでいいんじゃないかと思っています。先になればなるほどそのフィールドはどんどん拡がっていくんじゃないかな。「土着的なもの」というのもそのひとつかもしれないですよね。そういう意味では『風……』は固定されたものじゃなくて、流動的なもののひとつの原型だし、僕にとっての入口です。

川本 たとえば家族なら家族のことを、なぜ「書けない」と思ったのかしら。日常の自分の生活に、家族はもうすでに重要でないという意識なのか、それとも重要ではあるけれども書きたくないということですか。

村上 家族についていえば、僕は個人的には家族というものをそれほど重くは考えていないですね。これは僕のものすごく個人主義的な性向から来たものだと思うんですけれど、とにかく「家族」という団体に――家族にかかわらずあらゆる団体、グループにということですが――からめとられたくないというわりに強い意志があるんです。だからまあ今までずっと子供を作らなかったということもあるんです。女房と僕だけなら。これはもう家庭とも呼べないですからね。それが結果的には日本的な土壌を拒否しているということになっているのかもしれない。オーバーに言えば土着的な血の流れをぶった切っているということだから。少なくともただ単に何となく書かないといった淡いものじゃないことは確かですね。

川本 日本的な土壌を書きたくないということは、日本的な土壌の存在が自分の中にもあることを認めた上で、小説ではそういうことをベタベタ書いてはいけないという感じでやっているわけですか。

村上
 もちろん僕の中にもそういうものはあります。日本人だし、日本の中でずっと生活しているわけですからね。ただ今のところそういう直接的なことは小説に書きたくないと思っているだけです。そういう必要もとくに感じないですしね。
それにかかわらず、僕は自分の体験のようなものを直接的に書くというのは極端に嫌いなんです。
たとえば男女の愛の絡みというのはそれほどスマートなものじゃないし、どちらかといえばどろどろとした辛いものです。生活だって長くて退屈で辛いものです。でもそういう認識というのは誰だって持っているものだと僕は思うんです。うちあけ話をするわけじゃないけれど、僕だって生活面でずいぶん苦労したし、そういうのは骨の髄にまで染みこんでいたと思う。でもそれについては書きたくないんです。いやな人間は周りにいたし、いやなことも山ほどあったし、いろいろあったけど……でもそういう思いをしているのは僕だけじゃないし、そんなことを声高に言うのは恥かしいことだと思っている。だってじっと黙って耐えざるを得ない状況に置かれている人だっているわけですからね。
『風……』を書いている時も精神的にもかなり辛い時期だったんですけれど、だからこそ経験的なことは死んでも書きたくないという思いがありましたね。なるべくなら気持ちよくものを書きたいということですね。だからそれを「土着的」という項目に限定しちゃうと、話がちょっと単一の方向に向いすぎちゃうと思うんです。それはワン・ノブ・ゼムのファクターにすぎないわけですから。


うん、春樹さんらしい(笑)そういう面には徹底して頑なな姿勢を崩しませんものね。

つづきます。

レアな村上春樹さん その24

Literature


日本の小説はあまりに日本語性を利用しすぎる

川本 村上さんはたしか、「カイエ」のインタヴューでは、日本の純文学はあまり読んでいない、と言ってましたね。

村上 本当に読んでないんです。

川本 むしろアメリカのペーパーバックばかり読んでいて、それで文章修業をしたんだ、とおっしゃっていましたね。

村上 そうですね、「文章修業」という言葉は少し恣意的な意味あいが強すぎると思うけれど、たしかに無意識的には修業にはなったかもしれないですね。アメリカのペーパーバックに引かれたというのはまず第一に外国語で本が読めるということだったと思うんです。そういういわば後天的に身につけた言語で文章を理解し感動をすることさえできるというのは非常に新鮮な体験だったですよね。日本語を回避するというほどのことではないですけれど、それとは別のフェイズでコミュニケートできるというのはとても面白い体験だったし、どんどんそっちの方にのめりこんでいっちゃったし、そのせいで言語に対する感覚が他の人とは少しずれちゃったということはあるかもしれない。
でも僕は、これもなんだか弁解しているみたいだけれど、決してアメリカナイズされているとか、そういうのはないと思うんです。ただ単に、アメリカという語学的なチャンネルを通しているだけで、とくにアメリカの事情に詳しいというわけじゃないですし、それがポーランド語であってもギリシャ語であっても、何の支障もなかったわけです。ただ現実問題として、アメリカについての情報量が圧倒的に多かったし、当時はアメリカン・ウェイ・オブ・ライフがひとつの理想として存在していたし、そこから入っていくのがいちばん入りやすかったということはありますよね。まあそれがごく自然にアメリカの小説に行っちゃった第二の理由だと思います。


以前も語ったことがあると思うんだけど、「思い出がいっぱい」を歌っていたH2Oというデュオのひとりが高校時代の先輩でして、彼は学年でも英語が一番できたみたいで、その理由としていつも語っていたのがビートルズでした。そう、彼はビートルズで英語を学んでいたんです。今頃になって自分にもそういうのがあったらな……なんてことを思う今日この頃です(遅いってば!……笑)。

僕はジョン・F・ケネディの政治がとくに優れたものだったとは思わないけれど、一九六〇年代前半にあの人がもたらした理想的色彩の濃い開放的な空気にはとても心引かれるものがあったし、そういう影響もあったかもしれないですね。たとえばビーチ・ボーイズの音楽なんかは典型的なケネディ時代の産物ですよね。
でもそういった指向に呼応するような位置をとっているいわゆる「純文学」が日本に存在したかというと――これはもちろん良い悪いという価値とは無関係なんですが――なかったような気がする。僕もまったくそういうものを読まなかったわけじゃなくて、高校時代なんかに人に勧められて少しは手にはとったんですが、どうしてもそっちの方にはのめりこんでいけなかった。根本的なシンパシーのようなものが持てなかったんですね。それよりはアメリカの現代文学やエンターテインメントの方がぴったりときたわけです。
結局それは今になって思うと、言葉の重みというか、言葉に対する思い入れの問題じゃないかという気がします。つまり、これはかなり単純化した言い方ですけれど、日本の小説はあまりにも日本語というものの日本語性を利用しすぎているということですね。だから自己表現という行為があまりにも深く日本語の特質とかかわりすぎていて、その境い目が見えない。そういうのが、僕にとってはヘヴィーにすぎたんだと思います。こういう感じ方が正しいことなのかどうか僕にはよくわからないけれど、まあとにかくそう感じたわけです。だからこそ僕は自分が小説家になりたいといったような希望は殆ど持てなかった。日本語で小説が書けるとは思わなかったですからね。

川本 いま、江藤淳さんをはじめとして、アメリカと戦後日本とのかかわり方というのが一つのテーマになっているわけですけれども、僕らより前の世代にとってのアメリカというのは、政治的な強者として常に仰ぎ見る存在だった。ギブ・ミー・チューインガムなり、「アメリカひじき」なりという言葉で象徴されるように、アメリカがあまりに強大で仰ぎ見る他者だったと思うんですね。
ところが僕らの世代、村上さんたちの世代になると、ケネディ以後というんでしょうか、政治的な回路よりも、むしろ映画とか、音楽の回路で、アメリカが他者というよりも、思い切って言ってしまえば、友人的な、同時代を生きている文化だという共通項のほうが多くなってきたと思うんですよね。

村上 そうですね。

川本 文学の本通りのほうでは、アメリカは強力な他者だ、という思いがあったわけですけれども、裏通りのアンダー・グラウンドのカルチャーの世界では、平気でぼくらは早川のミステリー・ブックを読んでいて、アメリカ映画を愉しんでいたわけです。言ってみれば、父親たちはアメリカと戦っていたけれども、僕らは既にアメリカと密通していたというか、アンダー・グラウンドの回路はひらけていたと思うんです。アメリカが、政治の回路を通じないで、サブ・カルチャーのシンボルとして入ってきたということがあったと思うんです。それによって僕らの感性には、前の世代とかなり違ったものが形成されてきたということが一つあると思います。
それは村上さんの中におけるハード・ボイルド小説や、あるいはビーチ・ボーイズの音楽に表わされているアメリカの持っているある明るさですね。それともう一つは、アメリカというものを考えた時に、いま村上さんは日本の純文学は言葉の重さにこだわっていると言いましたけど、僕らが、チャンドラーのハードボイルド小説や、アメリカのニューシネマを見た時に感じるのは、個人というものが一つ独立した人格である、という自由な世界があったと思うんです。日本の家族とか、故郷とか、土着的なるもの、というものにあまりにもがんじがらめになって物を考えなければいけないという環境に生きてきた人間にとって、フィリップ・マーロウに象徴されるような都市のシングルの人間の持っている自由さというものが、非常にしっくりといったということがあると思うんですね。
そして村上さんの小説は、ご自身でも言っているけれども、家族がほとんど登場しないということが特色です。


村上春樹さんの都市伝説のひとつに、「デビュー作は英語で書いた」というものがあるんですが(もっと細かく言うと「いったん英語で書いたものを、自身で日本語に翻訳しなおした)、あるいは……と思わせるものがありますよね。

つづきます。

レアな村上春樹さん その23

Literature


最初の数ページで書きたいことを全部書いた

川本 最初にこの『風の歌を聴け』が出た時に、僕は、当時あった「カイエ」(「冬樹社」もなかなかマニアックな本を出版していて好きでしたね)で初めて村上さんにインタヴューしたんですけれども、その時もやはり、〝六〇年代〟ということが一つのキー・ワードになりましたね。

村上 ええ。

川本 通常、ぼくらが六〇年代といってしまうと、すぐ全共闘世代とか、連合赤軍事件とか、非常に政治的に重いほうに話が引きずられてしまうんですけれども、その時には、日本のそういう政治的な事件で象徴される六〇年代よりも、むしろアメリカン・ニューシネマとか、村上さんの好きな音楽のジャンルでいえば、ビーチ・ボーイズに代表されるウエストコーストの明るい文化風土としてのアメリカというものが、かなり強く意識されたと思うんですよね。アメリカというものが現実のものとして身近に感じられた、またカタログ的な知識として、フィクショナルな空間としてのアメリカが愉しまれていた、この両方の面で村上さんの中にアメリカというものがあったと思うんですけれども、その辺はいかがですか。



村上 川本さんが六〇年代という言葉から「全共闘」というイメージに行っちゃうのは、これはやはりジェネレーションのずれが少しあるからだと思うんです。でも我々の世代にとっての「全共闘」なり「政治的反乱」なり「カウンター・カルチャー」体験というのはいわば後天的なものなんですね。それは六七年か六八年から湧き起こってきて、六〇年代にピリオドを打ったという存在であって、決して六〇年代のムードそのものを全体的に支配しているわけじゃない。僕はそんな風に認識している。だから我々のことを「全共闘世代」と簡単に呼ばれることにはかなり抵抗があります。我々はたしかに「全共闘」という形をとって噴出した時期を持っているけれど、僕自身の感じでは我々の世代にとって最も重要な部分はその地下マグマの養成期に含まれているんじゃないかという気がするんです。つまり六〇年代前半・中盤の高度成長とそれに伴う「戦後体制」の崩壊ですね。「全共闘」というのはたしかに様々な要因を含んでいるけれど、その究極的な意味は「戦後体制」とその価値観の消滅ということにあると思います。我々はその消滅をネガで捉えるかポジで捉えるかということで個別的にかなり混乱していたし、そのせいで分裂し、圧殺されたわけですね。そして一九七〇年というポイントで我々は瞬間的に冷凍されてしまったと思うんです。
だから『風の歌を聴け』という小説は価値観の冷凍状態から始まっているといってもいいんでしょうね。そこで、全共闘を出すのは、焦点がぼやけちゃうおそれがあった。少し出てくる部分がありますが、僕はそこで出したことを今でも非常に後悔しているし、まったく出さなきゃよかったと思うんです。それでもほとんど出ていないのは、本能的に出すべきじゃないと思ったから、出さなかったんですけれども。

川本 そういう意味では、すでにこの作品にも寓話的な要素が入り込んでいたと思うんですね。つまり、あまりにも生々しい現実というものは直接に作品の世界に持ち込まないで、むしろ、いま冷凍という言葉を使われましたけど、一回フィクションになったり、あるいは歴史のカン詰めになったものだけを、まさに村上さんの好きなスーパー・マーケットの比喩でいうと、あらゆるものを棚の上に並べていって、そこにあえて人工的な空間をつくっていくというのが、村上さんの世界の一つの特色だろうと思うんです。そういう意味では、現在形の六〇年代ではなくて、すでに過ぎ去ったものとしての六〇年代というべきでしょうか。そしていつも過去をふり返るという形が、村上さんのスタイルの一つの特色じゃないかと思うんですが。

村上 うーん、そうですねえ。そうかもしれない。でも僕の意識としてはいつもふり返っているという思いはないし、そういうのが僕のスタイルだとも思わないです。ただ僕は小説を書くことでいろんなことを段階的に整理し把握していくタイプだから、川本さんが言われるような部分もあるかもしれないですね。過去に目を向けて、その状況をもう一度自分にとってわかりやすい形で構築してみるといったようなことですね。
この『風……』という小説についていえば、僕自身にもわからないことが拓さんるんです。要するにここに書かれていることの大方は極めて無意識的に出てきたものなんです。計算して書こうとか、意識的に何かを作ったというようなことは殆ど何もなくて、とにかく書きたい「もの」を書きたいように書いちゃおうと思って書いていったわけです。こういう言い方はオーバーにすぎるかもしれないけれど、いわば「自動筆記」みたいな感じだったですね。そういう意味ではこれは出来はともかくとして幸せな作品だったかもしれない。
僕はこれを書く前に習作を書いたとか文章修業をしたとかいう経験がなくて、小説をどう書けば良いのかがまるでわからなかったし、もう何でもいいから心にあることを開きなおって書いちゃおうと思ったんですが、結果的にはそれが良かったんだろうと思いますね。
小説としては最初のものだし、下手だと思うし、今読みかえすと面映ゆいという感じはあるんですが、にもかかわらず冷静に詠んでみると僕が書きたかったスタイルとか、方向とか、ストラクチュアなんかはここにだいたい提示されているんですね。処女作というのは原理的にそういうものなのかもしれないけれど、自分でもときどきはっとすることはあります。今ならこれと同じ題材を使ってもっともっと上手く書けると思うけれど、小説というのはきっとそういうものじゃないんでしょうね。
それから僕がこの小説についていちばんよく覚えているのは、自分の言いたいことをチャプター1という最初の数ページの中に殆ど全部書いちゃったということなんです。だからチャプター2からあとはメッセージというものがまったくといっていいくらいなくなってしまった。でもチャプター1だけではもちろん小説にならないから、仕方なく――という言い方はまずいと思うけれど――とにかく何でもいいから書きつづけたんです。そういう意味では肩の力が完全に抜けちゃってますね。そういうところもかえって良かったのかもしれない。百パーセント自分のために書いた小説ですからね。自己確認というか……、まあそういうことですね。小説の中ではたしか「自己療養」ということばを使っていたと思いますけれど。だからまさか賞をとって活字になって人の手にとられるとは思わなかったし、三部作に発展していくなんて思いもわらなかった。

川本
 この小説が出た時に、みんなが共感を持ったと同時に、「アッ、やられた」と言った。つまり。無意識のうちで、みんながこういう小説が書きたかった、ということがあったと思うんです。
というのは、時代の風俗、文化とか、感性のほうは、どんどん都市化またはアメリカ化していって、戦後、日本の社会が持っていたような湿った重たい空気が薄れていって、若い人が自由にアメリカの音楽を聴き、アメリカのスーパー・マーケットで売っているものを消費していくという、現実のほうはどんどん軽い都市化現象が起こっているにもかかわらず、文学のほうは、そういうものに追い付いてなかったと思うんです。それが、この作品が登場したことによって初めてクロスしたという気がします。

村上 僕はその頃店をやっていたんですが、友だちとかお客とかの反応は「あんなものなら俺にだって書ける」という種類のものが多かったし、そんな小説が賞をとったことに対する反感はかなり強かったですね。共感というようなものはまわりには殆どなかったです。「これはマグレなんだから、恥をかかないためにもこれ以上小説を書くな」と忠告してくれた人も沢山いたし……。かなりしんどかったですよ。いわゆる文壇批評も風当りも相当なものだったですしね。
ただ僕は既存の純文学のパラダイムに対して反感を持ったり、アンチ・テーゼを提出しようとしてあれを書いたわけじゃないんですそんなことを考えてたら、とてもあんな肩の力を抜いたものは書けないです。ぼくは既存のものは既存のものとして存在すればいいんであって、僕は僕で書きたいように書くという感じで書いたんだと思います。その当時はそういうことさえ認識してはいなかったですけれどね。
でも結果的にさっき川本さんがおっしゃったような「都市化」とか「軽さ」とかいったようなムーヴメントの先端近くに押しだされていったような傾向があったことは確かだと思います。僕は決してそういうものを求めていたわけでもないし、今でも求めてないし、自分の書きたいことを自分の書きたいように書くという一点に意識を集中してやってきたつもりなんですけれどね。弁解するわけではないけれど、そういう面では僕は極度に個人的な人間ですから。


面白いインタヴューですね、先が楽しみです。

つづきます。

レアな村上春樹さん その21

Literature


さて、今回はまた趣向を変えて、村上春樹さんの昔のインタヴュー記事を紹介しましょう。
時は1985年、聴き手はよき理解者のひとりである川本三郎さんです。
「文学界」の1985年8月号に掲載されたものです。ちょうど『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が発表された頃のことですから、尚更興味が湧きます。

「『物語』のための冒険」
はじめに――――「文学界」編集部

村上春樹氏の一三〇〇枚に及ぶ新作『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が若者たちのあいだで圧倒的な好評を得、大きな話題を呼んでいる。しかし、村上氏の作家としての着実な積み重ねは、そうしたスター的存在という現象を越えて、真に注目に値するものと思われる。小誌の要望にこたえて、村上氏は初めて、自身の作品について、文学観について、トータルに真正面から発言した。この「新しい作家」が目ざしている方向と方法は、文学の現状に大きな示唆を与えるだろう。聞き手には最良の理解者である川本三郎氏をわずらわした。

『風の歌を聴け』をめぐって1
「書くべきことがない」場所からの出発

川本 きょうは少し改まってというか、村上さんの文学の世界について系統的に話をすすめていきたいと思います。系統的に、というのは、村上さんの四冊の長篇小説――『風の歌を聴け』(一九七九年)、『1973年のピンボール』(八〇年)、『羊をめぐる冒険』(八二年)、そして今度の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(八五年)――これらの長篇小説に沿って、村上さんの小説世界の展開と変貌を跡づけていってみたい。
その際の手がかりとして、最初にいくつかの僕なりのキー・ワードを出しておきます。一つは、スタートに゛青春」ということがあったと思います。それから、風俗的なものも含めて「都市」というものがあった。さらに『羊をめぐる冒険』以降、特に顕著になってきた要素として、「物語」というものを指摘できる。寓話的要素というか、ストーリー・テリングというか、言葉によって物語の世界を構築すること。たんに日常生活をスケッチするというのではなく、虚構のものを創りだしていく、フィクションへの意志がかなり強くなってきているという気がします。
いきなりキー・ワードを並べてしまうと、「青春」と「都市」と「物語」、この三つがあり、四つの長篇小説にこけらのキー・ワードをからめて話をすすめたいと思います。
最初に『風の歌を聴け』が出た時は、やはり一つの青春小説として受け取られたと思うんですね。しかもそれは、都市の先端的な風俗を消化し、エンジョイしている新しい世代の感性を描いたものだった。世代論的にいうと、六〇年代末期の政治的な高揚期に青春を過した人間が、七〇年代に入って時代の変化とともに自身の青春をふりかえるというかたちをとっている。
村上さん自身がそういう青春を描くことを当初意識していたのか。さらに、村上さん自身にとって青春とは何だったのか。そのへんからお訊きしていきたいのですが。

村上 最初の小節でとくに青春を描きたいというような思いはありませんでしたね。原則的に言えば軟田ってかったと思うんです。でも何でもいいといったら小説なんて書けないから、〈一人称で、一九七〇年というポイントを書いてみよう〉ということになったわけですね。それがいちばん書きやすいような気がしたんです。
それまで六〇年代末期のいわゆる「動乱期」を題材として扱ったもの――政治的あるいは文化的にですが――はいくつかあったけれど、七〇年代を題材にしたものはその時点ではあまりなかったと思います。黙殺されていたというほどじゃないけれど、それに先行する六〇年代の印象があまりにも強かったんで、なんだか七〇年代という十年間(ディケイド)そのものがぼんやりとした形でしか捉えられていなかったんですね。だからそういう入口のあたりを書いてみると結構面白いんじゃないかとふと思ったんです。戦略的に意識したということではなくて、漠然とそう感じただけです。
たしかに僕は十代の成長過程をすっぽりと六〇年代で過した人間だし、七〇年代よりは六〇年代に対しての方に強い思い入れはあったんですが、小説を書くということになると何か七〇年代の方にずっとひかれたんです。つまり我々にとって七〇年代という十年間は六〇年代のいわば「残務整理」だったし、その「残務整理」について何かを書くということは、ダイレクトに六〇年代を描くよりは自分にとってより正確な意味を持ちうるんじゃないかという気がしたんですね。誰かが七〇年代という十年間について責任を持って何かを書くべきだという思いですね。六〇年代というのはたしかに面白いエキサイティングな時代だったし、そこから我々はいろんなことを学んだ。でもそれが終ってそのあとにやってきたあの「なぎ」のような七〇年代からも、我々は――少なくとも僕は――同じくらいいろんなことを学んだと思うんです。ぼくはそのことをきちんとした形で確認したかったし、極言すればそのために小説を書いたとも言えます。だから『風の歌を聴け』を青春小説た゜と定義するなら、これはある意味では逆説的な青春小説になるんじゃないかと自分では思っています。つまり青春という設定ないしは認識から小説が始まるのではなくて、一九七〇年の夏というポイントの設定から小説が始まって、それが結果的に「青春」という体裁を帯びたということですね。そのときはさういうことをとくに強く意識したわけではないんですが、ごく自然に、もし小説を書くならこのポイントしかないと本能的に思ったんです。六〇年代についてはそれまでにも余りにも多くのことが書かれていたし、様々なキー・ワードが既に手あかに汚れたものになっちゃっていましたからね。自分自身の言葉で何かを書くには、手あかに汚れていない題材を選ぶ必要があったんだと思います。そういう意味では六〇年代はエキサイティングな時代だったけれど、七〇年代はマテリアルとして刺激的な時代だったということになるでしょうね。それだけイメージが固定されていないわけだから。
でもそれはそれとして、僕の精神的なバック・グラウンドはやはり六〇年代の方にあります。僕はさっき七〇年代というディケイド(十年間)からも六〇年代から学んだのと同じくらい多くのことを学んだと言いましたけれど、同じくらいとは言っても、それは六〇年代から学んだことを基本的な価値基準として推し測っているわけだし、正確には同列に置けないでしょうからね。つまり六〇年代という眼鏡をとおして七〇年代を送り、眺めてきたわけです。まあだからこそ僕なりに公正に七〇年代を描くことができたんじゃないかという気がします。


なるほど……。「設定」と「手あかに汚れていない題材」ね。メモメモ。

つづきます。

レアな村上春樹さん その20

Literature


歌をいくつか書いてしまうと、彼はそれらを自分で歌うべきだと思った。そのチャンスは八月にやってきた。彼はヴェニス・ビーチでレイ・マンザレクが歩いているのに出会った。
「よう、ジム」
「やあ、レイ、元気かい?」
「元気さ。ニューヨークに行っていたんじゃなかったのか?」
「いや、ずっとここにいたよ。デニスと一緒に住んだり何やかやでさ。あとは物を書いてたよ」
「書いてたって、何書いてたんだ?」
「たいして書いてはいないんだけど」とジムは言った。
「まあ歌を幾つかね」
「歌?」とレイは言った。「聴かせろよ」
ジムは砂浜にしゃがみこみ、レイはその前にひざまずいた。ジムは両手をついて体を支え、砂を指のあいだにぎゅっと握りしめ、しっかりと目を閉じた。彼は「ムーンライト・ドライヴ」の最初の一節を選んだ。ゆっくりとした丁寧な語り方だった。




月まで泳ごうぜ。
潮に乗って、のぼっていくんだ。
街が眠りの中に覆った
闇を貫け。


彼が語り終えた時、レイが言った。「そんな御機嫌な歌詞を聞いたのは生まれてはじめてだよ。どうだい、ロックンロール・バンドを組んで百万ドルばかり儲けないか?」
「いいねえ」とジムは言った。「実は俺もずっとそれを考えてたんだよ」
“No One Here Gets Out Alive”


これで村上春樹さんの「同時代としてのアメリカ」は終わります。

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Author:T.S コウ
コウです。プロフィールの画像が詐欺ではないかとの噂がありますが(笑)、ン十年前はこんなでしたってば! と言い張っちゃう^^
せっかく、このブログにいらっしゃったのですから、どうぞごゆるりとお過ごしください^^

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